WCEとか

 国内の総生産と、労働分配率の問題かと思われる。
 総生産×分配率が、労働者の手元に入り、それがプラスになれば大まかには良い政策、マイナスになれば悪い政策だと思う。
 これはマクロな話で、一定以上の労働時間は健康に悪いし、一定以下の収入は、健康で文化的な生活を維持できないので困る。


 …「20人のうち、1人を『犠牲』にすることで、20人の利得を最大化できる施策と、誰も『犠牲』にせず、20人がそこそこの利得を得る施策と、どっちをどるべきか」…
 これは、通常後者だ。『犠牲』を容認すると、次は19人の中で『犠牲』になる人間は誰か、という議論になり、士気が下がるからだ。ただ、実際は、「究極の選択」遊びのように、選択肢は固定化していない。経済的に不利な人間を出すことで、全体の利益が増すなら、得た利益を分配することで、ある程度犠牲の補償とする。っていうのが、国家の福祉の意義の一つと考えているのだけど。
 自分で生活費を稼ぎ、次代を教育し、穏健保守(か穏健革新)を支持し続ける中流が壊滅すると、軍政と共産主義が交代する中南米のように。