"いじめはなくならない"論について

http://michys.com/blog/2006/11/post_519.html#comments


禁酒法」は、「生類憐みの令」と並んで、「悪法」の例としてよく取り上げられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%85%92%E6%B3%95


 嗜好品の類、精神に影響を及ぼす品には、珈琲、煙草、酒、ソフトドラッグ*1覚醒剤、麻薬*2があって、線引きは困難です。昔は覚醒剤、麻薬まで法規制されなかったみたいだし、将来は酒どころか、珈琲まで禁止されるかもしれません。だから、なにもしなくてよい、というのではなくて、そこは、市民の合意の下、妥当な運用を伴う立法(か、それに類するもの)で規制するのがよいかと思います。っていうか、みんなそう思って、そうやっています。麻薬の禁止、珈琲の容認は、当面続くと思いますが。公共の場所での喫煙、運転前の飲酒は、法規制、運用面でも厳しくなってきましたね。完璧でないけれど、妥当な方向だと思います。
 いじめについても、市民の総意のもと、どこかに線引きをして、適当な立法と運用を行なえばいいと思うので、粗雑な「嗜好(品)を規制すると、かえって害悪が発生する。ので、規制は行なうべきではない」という意図で使われがちな、「禁酒法」が例に出たので気になっただけです。

今の「いじめ」がどのような定義であり意味をもつのかを共有し、「少なくとも広義のいじめはなくならない。そういう状況に対して我々はどう対応すべきか」ということを前提に議論を進めるべきではないかと思います。

という結論には賛同しますが、

じゃあ、ギリギリいじめじゃない、いじめ類似の行為は行ってもいいの?

と、グレーゾーンを容認しない論法や、

「いじめ類似」の行為もいけないから、ってまた「いじめ」の定義を増やしてみたり、新しい言葉を発明したところで、浸透して「ゼロ」になるまでどれくらいかかるのでしょう?そして、それまでにまた「類似」の行為が増えるのではないでしょうか。

というドミノ理論



…‥以下略。

*1:マリファナなど

*2:狭い意味での麻薬。ヘロインなんか