限界小説書評:『断章のグリムⅠ』

今回取り上げる『断章のグリムⅠ』は、しばしばこのような新しいタイプの伝奇小説に分類される作品とされる。不毛な定義論争に巻き込まれることを避けるため、ここでは厳密な分類論には踏み込まないが、議論を整理するため、以後この物語形式を暫定的に「新しい伝奇小説」と呼ぶことにしよう。--http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/genkai/021.html

 こうして、私は先の前島の主張に次のように応答することができるだろう。新しい伝奇小説に多く見いだされる主人公たちを肯定しかねるという意見は正当なものだ。ただし、このような主人公のキャラクター造形がオタク男子のルサンチマンと共鳴し、根底で新しい伝奇小説の読みを支えているという主張には一定の検討を加える必要がある。主人公と読者との共鳴のあり方は、単に盲目的な自己投影の関係に根ざしたものではなく、物語にリアリティを吹き込むための感情移入形式が切実に要求したものとして認識されねばならない。

 「現代学園異能」という言葉の黎明期に絡んだ記憶があるため、それなりに愛着があるのだけど、この言葉を嫌う気持ちもわかるような気がする。淡々とプロジェクトをやっている人のところに、「はしゃいだ連中が、勝手にグローバルオブジェクト作ってるぜ」というニュースが入ったら、すごくムカツクかもしれない。個人的には、自分のサイト(群)でのみ通用すればいいんだけど。
 で、レンタルマギカを読んだけど、ここでも「信頼できない上部組織」は登場するのね。ウイッチマズルカも。ムシウタ、バイトでウイザード。「トリブラ」に、この概念を適用すべきかどうかちょっとアレだけど。信頼できない上部組織を警戒しつつ、雑魚をやっつけ、やがて浮かび上がる敵対組織との決戦。
 まあ、ぶっちゃけ、社会の束縛と戦う靴型異能と、束縛されないことと戦う電撃異能を比べると、ユーザー層の違いが見えておもしろいかも。まあ、ハルヒは(以下略