イラストと写真表現

http://d.hatena.ne.jp/carrion-crow/20060209/p1
via
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060219/p1

写真つーのは、レンズの光学的な性能に、良くも悪くも制約を受けてるワケだけど、もともと好きに書けるはずのイラストに、そういう写真的な表現が盛り込まれるってのは、どういうコトなんだろうか。とか。 考えただけで、別に面白い結論は出なかったけど。

 前置き略。
 暗黒や閃光を表すのに、黒や白での潰れ、そんでレンズフレアを利用する技法が映画やらスチルで開発され*1、アニメ経由で?イラストに取り入れられたのかな。シャッタースピードの制御で動きを表現したり。周辺光量の減少とか、レンズの歪とか、写真の技術上の制約も生かしたり生かさなかったり。


 あと、透視図法自体はルネサンスの頃からあるけど、視点と画角のコントロールによる表現は、写真とか映画で広まったのかな。広角レンズで近づいて背景を小さくして遠近感を出したり、望遠レンズで遠くから写して背景を整理したり。


 書くのは自由だけど、それを認知するためには文化とか生理とかミームなんかで組み上げられた脳内の認知回路を経由する必要があり、認知回路を作動させるよい例として写真表現が参照されるんじゃないかな。文章の場合それが神話(以下略。

追記

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060219
こちらで、技術的なことが解説されています。感謝。
本当は映画論やアニメ技術論を調べた上で記述するべきなんだろうけど、まあ、釣りだと思ってご容赦下さい。
さて

 でも、アニメは映画よりも新しいけれど、イラスト――一枚絵は写真よりも古い。

 そこの関係はどうなっておるのか、とか。

 解剖学的妥当性をもつデフォルメ(夏目氏が得意な分野?)や幾何学的な妥当性を持つパース表現は、文化を問わず認識されそうだけど、記号表現は文化に依存する、そんな印象を持っています。レンズフレアの表現とか。


こちらでは美術史上の観点から。
http://d.hatena.ne.jp/giolum/20060219

 幾何学的遠近法から逸脱した絵画と言うと16世紀のティントレット、17世紀のエル・グレコなどが知られていますね。明確に意識して画角をコントロールしているものとしては16世紀のハンス・ ホルバイン「大使たち」の歪んだ髑髏が有名です。また聖堂の壁画などでは、一つの視点から自然に見えるように端ほど歪ませることがあったようです。

*1:つまりそれを受け取るリテラシーが発見されたか、開発された