"仮面と顔のサブカル的三題噺"

http://d.hatena.ne.jp/syukuse/20060218#p2

ひとつは映画「スパイダーマン」。スパイダーマンとヒロインが最初のキスをするシーンの倒錯感、あれは何か。逆さまのまま、マスクを半分だけ口元まで脱ぐ中途半端さ、そして夜・雨。顔が半分しか出てない相手と、逆さまにキスをする。あの倒錯感は一体何か。

ふたつめ、実写映画「キャシャーン」。あのキャシャーンはなぜ「無帽」だったのか。研究所の崩壊でヘルメットが失われていくシーン。そしてキャシャーンは(今度は)口元だけ覆い、ズラなしで戦う。あの、やっぱり中途半端感。不全感。こっちは明らかに「去勢」と関係ありそうなのは分かる。監督は無帽にした理由をどこかで語っているのだろうか(知っている人がいたら、教えてください)。

それから三つ目、今度はプロレス。獣神サンダーライガー、彼の試合は往々にしてマスクが脱がされ「かかる」。しかしライガーが山田さんであることはプロレスファンには周知のこと。だから試合相手がマスクをはぎとる=正体をばらすことは何ら意味はない。しかし相手はライガーのマスクを取ろうとする。いや、正確には、常に(やはり)中途半端に取るに留まるのだ。マスクが取れかかったり、部分的に引き裂かれたりして、中途半端に素顔が見えたままライガーは戦い続ける。その試合を見ているときに起こる、不思議な感情とは一体何か?

 固有性とか身体性が、それを隠蔽したキャラからはみでてきた瞬間?