「フルメタル・パニック!」における二つのリアリティー

http://d.hatena.ne.jp/giolum/20060205#1139117086

フルメタル・パニック!」の場合、ミスリル編はリアリティーがあります。かなり真剣に作り込んでいます。登場人物は銃で撃たれれば傷つき、生死をさまようキャラクターなのです。ところが陣高編にはリアリティーはほとんどありません。むしろ積極的に壊しています。ミスリル編と同じ登場人物が爆発に巻き込まれても記号としての絆創膏が付くだけです。ここでは登場人物はキャラなのです。つまり「フルメタル・パニック!」という一つの作品の中で

* キャラクター⇔キャラ
* リアリティー⇔ノンリアリティー

という可逆な切り替えがあるのです。

 エントリーの趣旨は理解できるのだけど、個人的には、リアリティーとノンリアリティー排中律付二元論のように解釈されかねないあたりがちょっと気になったり。
 さて、普通、一つの作品は、一つのリアリティー水準で記述されるっぽいのだが、作品の途中で、限定的にリアリティーを低下させる場合もある。古くは100tハンマー、SDキャラ、エロゲでもヨダ絵やぺろ絵やSD絵を登場させる場合があるし。TID的に言えば、キャラクターからキャラが見え隠れする瞬間。で、絵によってリアリティーの水準を表現できないラノベの場合、長編でリアリティーを高めにし、短編で低めにするという、いわばセルフ二次創作が受け入れられたのがスレイヤーズから、という指摘。
 リアリティーの水準が上がっていった作品として、明日のジョーが紹介されていたが(TID)、リアリティーの水準が変化する作品のなかで、多くの作品はキャラクターとして開始され、巻が進むとともにキャラ化していく。二つの水準を並列させているあのへんは、だから考えてみると凄いのかも。