キャラ立てする話

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私の自己同一性を基礎づけるのは、「私は私が誰であるかを熟知している(あるいは、いずれ熟知するはずである)」ということではなく、「私は自分が誰だかよくわからない(これからもきっとよくわからないままであろう)」にもかかわらず、そのようなあやふやなものを「私として引き受けることができる」という原事実なのである。

 引用の内容は理解できないが、違う絵師が書いても同じキャラになる話、と読んだ。あの人が書くあゆも、この人が書くあゆも、線も塗りも違うけど、タイヤキ盗めばあゆだもんね。