進化論者な現人神

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 昭和天皇はダーウィニスト、つまり、ダーウィン進化論者であったか。そりゃ、問うまでもない当たり前ことだ。しかし、日本の戦前、天皇は現人神と言われていたのにその当人がダーウィニストということがありえるのだろうか。いや、そんな疑問を持つ日本人はいなかったし、現在でもほとんどいないのではないか。

分子レベルでの遺伝子の進化は、従来のダーウィン進化論の説明のように自然淘汰により引き起こされるだけではなく、生物の生存にとって有利でも不利でもない中立的な突然変異を起こしたものが偶然に広まり集団に固定化することによっても起きるとする。

 というところで、そうか、ダーウィニズムというのは、自然淘汰説であり、ここで問われているのは「自然」か。そうか。ID説というのが擬似的に「神」なら、ダーウィニズムは擬似的に「自然」であり、この自然とは、そう、ホッブズ(参照)のいう自然状態(参照)の自然なのだろう。

 遺伝子はそこにあるもので、有利とか不利とか意味を与えるのは観測者の存在があってこそ。科学が示せるのは遺伝子型ごとの、環境に対しての生存確率までであり、そこに価値を見出そうとすると、じゃあ価値を与えるのは誰だ?ダーウィン様か?お自然様か?それとも神様か?と、前に書いたような話。
 意味とか価値とか物語は、アプリオリに存在するものではなく、製造し複製し捏造されて始めて有効になるものだ、ということは、芸術家が示唆し、哲学者が予言し、このごろ広く知られるようになってきた。人間の尊厳は、地域社会も自民党も古典的進化論者も共産主義者も仏教も保証してくれない。
 自分の立脚点を守るため、保守(の一部)はidを信じ、イケメンDQNは恋愛ネットワークに身を投じ、えーと、2ch特定アジアとAuexを叩いてあとはラノベを読んでゲームをする、と。