こどもって、本当は

htt://d.hatena.ne.jp/tsukimori/20050826/p1
教育ルネサンス月曜版より引用。

 教師1年目の時、担任した(小学)2年生の教室に、言葉が少し遅れ気味の女の子、マキちゃんがいた。
 ある日、教室の黒板に、「マキ、死ね」と書かれる事件が起きた。子どもたちに向かって、「誰だ、こんなことをしたのは!」とどなった。しかし、子どもたちからは何の反応もない。マキちゃんは涙をためてうつむいている。時間だけが過ぎていった。
 どうして何も言ってくれないのか。自分と子どもたちはわかり合えていたはずなのに。
 マキちゃんのいいところを子どもたちに話してみたらどうだろうか。そこで翌日、子どもたちに次のような話をしてみた。
 「みんな、マキちゃんが毎日かかさずヒマワリに水をあげているのを知っているかな?自分のヒマワリだけじゃなくて、水をやり忘れていたお友達の分まであげているんだよ。そんなマキちゃんのやさしいところを、みんなにもぜひ知ってほしいな」

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 その翌日、マキちゃんのヒマワリの芽がすべて抜かれていた。
 子どもたちの本当の気持ちをちゃんと理解できていると思っていた。しかし違った。そう思っている自分に酔っていただけだった。子どもたちのマキちゃんへの思いなど、私はわかっていなかったのだ。
 マキちゃんは、やがて転校してしまう。転校する時にお母さんが「先生、どうかあのことは気にしないでください」と涙をためて言ってくれた。
 申し訳なさと悔しさで私も涙が出た。そして「せんせい、ずっと……せんせいでいてね」というマキちゃんのお別れの言葉は、「ずっと子どもたちを担任する教師であり続けよう」と私に決心させた、忘れられない大切な言葉である。

 おそらく、n年後、この出来事を子供達は、友達に、「キモイ」と話し、「ウザイ」先生がいた、と話し、横で耳を傾ける喪を戦慄させることであろう。