続 "ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?"

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/433403638
非常に面白かった。
1953年生まれの著者が、鉄腕アトム月光仮面から、ヤマトガンダム、DQFF、そしてエヴァからストライクウィッチーズ、なのはまで持ってきて、その背景を探っていく。作品のストーリーラインを述べるにとどまらず、製作背景や受容側の事情まで語っている。

個々のエピソードとしては既知のものが少なくないが、まとめてみると面白い。


P269-270

 少し皮肉な言い方をすれば、「名作アニメが子どもたちの間で大いに歓迎されていた」のではなく、歓迎していたのは親であり、彼らが理解できるアニメを子どもと一緒に観ていた。でも、子どもにしてみれば、アニメを堂々と観られるのなら、それでもよかったという辺りではないでしょうか。

 家族でアニメを見るという状況が消えたので、名作劇場は役割を終えた、と。


P224

 では何故、なのはは九歳児に偽装させられているのか?
 九歳児の彼女は、恋愛対象にならない(略)からです。なのはは恋愛に伴う煩わしさを感じさせません。ただ「カワイイなあ」と思っていればいいのです。とても、安全・安心な存在。でも「下着姿や素肌をさら」してサービスしてくれる。ありがたい話ではありませんか。

 次の章では、インデックス、□□□□、小萌てんてー、かんなぎ、などが紹介されている。

P226

逆の言い方をすると、本来男や男の子たちにとって安心・安全な女の子として機能するタイプの魔法少女が、より子ども化されて女の子向けに提供されていたのが、初期の魔法少女たちだったのではないか、と。

 初期の魔法少女モノは、男性スタッフにより製作されたため、自分の想像し、コントロールできるキャラクターということで、あーいう形になっていた、という部分に続いて。