体験と、物理的実在

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クーラーで25度に冷えた部屋と、28度の森林の中で心地良い風にあたることを、温度計の目盛だけで比較することはできません。この場合、まず「クーラーで冷えた部屋の方が涼しい」と言いきることが科学的方法論です。これに対して科学的方法論は異議を認めないわけではないのですが、文句を言うなら、「湿度」とか「マイナスイオン?」とかの別の物理的実在を持ち出さないと受けつけません。

・クーラーで冷えた部屋

・心地よい風
 を対置させることは、誘導にならないのか、というのが一つの疑問。
 また、
・涼しい
 という、主観的な形容詞を
・科学的
 という言葉にくっつけて話を進めることも、誘導ではないか。

・「クーラーで冷えた部屋の方が涼しい」と言いきることが科学的方法論
 なんていう、科学者がいたら、是非学会で発表して欲しい。頑張れ。科学的というなら、同じ条件で、目隠しをし、同じ風速に置いた同じ服装の被検者にアンケートを取って、マイナスイオンたっぷりの森林と、体育館の特設ブースの送風機と、どっちが涼しいか比較する必要がある。

・空調どころではない、都会のアスファルトをスーツにネクタイで歩き回って、やっと帰ってきたオフィスの25℃、それもクーラー特有のカビの臭いつき
 と、
・休暇の森林、ビール有り、の28℃。風が吹いてきた。
 を比較するのは温度(や湿度)という物理学的な問題ではない何か、だ。


それで、主観的体験、個人の内部で起こる「暑い」という体験については、学問の対象とならないのか、全く個人的なことでいかなる方法論も通用しないのか?
 根源的には、断絶はあるだろう。しかし、大抵の場合、話者の
・衣服
・風速
・運動強度
代謝と表面積
・自律神経機能
によって、大きく左右される。まずは物理学、次は社会学、医学人間工学最後に心理学、かな。その先には断絶があろう。でも、それで十分ではないカナ。


要するに
・25℃だって?それは、ふきだし口の下の温度計の温度で、この席の温度じゃねぇんだ
・25℃だって?それは、エアコンのリモコンのツマミの位置であって、この席の温度じゃねぇんだ。
・暑いだって?それはスーツ着てネクタイつけて外から帰ってくれば暑いだろうけれど、机に座っている俺は寒いんだ。長袖着ないと死んでしまう。
・(自律神経弱めなのでクーラーには弱いのさ)
という愚痴。

 物理的な測定(実在に非ず)と、主観的体験は、様々なシーケンスを経て接続されているけれど、それを単に直結と見る人も、逆に切断と見る人も、(自分に都合が悪いときには)嫌いだ。そう。なにがどうでなんでも、客が寒がっているときは寒いんだって。とにかくエアコンの設定を下げろ。エアコンのツマミとエアコンの温度調整と交流モーターとインバーターとエアコンの風向きと風量と体感温度と体の温度調節の話はいくらでもするから。