悲惨な第一次世界大戦の原因は

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近世のヨーロッパの軍隊の特徴的な敵陣突破の戦法は、銃火の中でも隊列を決して乱さないように集団訓練を施された密集歩兵集団による中央突破であったという。映画の「戦争と平和」のシーンを思い出せばよい。この戦法でもってヨーロッパの軍隊はアジア・アフリカの軍隊を圧倒し、世界中に植民地を広げることができた。しかし技術革新の結果、この戦法は通用しなくなってしまう。
小銃の射程距離と連発性能の向上である。単発銃が連発銃となり、射程距離が100メートルから1000メートルを超えるようになると、在来戦法による歩兵集団の前進は耐え難いほどの犠牲を伴うことになった。とりわけ普仏戦争での歩兵の犠牲が甚だしかったため、両国はこの伝統的な戦法を廃止し、兵士は密集集団を組むのではなく、散開して遮蔽物を利用しながら前進するようにいったんは改める。

ところが非常に興味深いことだが、しばらくすると再び元に戻ってしまうのである。歩兵操典は再び改訂され兵士は昔どおり「肘と肘とを触れ合わせ、ドラムとラッパの響きとともに前進する」ことになる。なぜ、この様な不合理なことになったのか。

散開する隊形では兵士は全体の状況を把握できず、孤立したことで士気が低下し、戦列からの離脱者が続出したのである。結局、密集隊形を組む以外に全員を一つにまとめることは出来ないと判断され、この密集隊形スタイルの攻撃方法は変わることなく、第一次世界大戦では人類史上最も悲惨と言われる兵士の犠牲を生じさせることになった。

http://www3.kiwi-us.com/~ingle/honbun-2/infantry%20tactics.html

第1次大戦では、密集した歩兵が大砲と機関銃にむかい、なぎ倒されて行くさまが浮かぶがそう単純でもない。

(中略)

この密集隊形の不利はすぐ知られ第2次大戦のように散開することが当然とされた。5人単位での分隊での行動が要求されるには至らなかったが、密集攻撃の危険は1914年中には理解され繰り返されることはあまりなかった。

ともあれ、密集隊形であるかどうかに関わらず、機銃と塹壕と鉄条網の前では、悲惨な末路しか歩兵には待っていなかったのだ。で、密集隊形かどうかにかかわらず、塹壕を出た瞬間に阻止砲火と弾幕が降り注ぐ。

第1次大戦の死者の65%は砲弾の直撃または破片によるものとされている

要するに、指導層の「非合理性」が悲惨を招いたのではなく、近代戦の継続それ自体が悲惨なものであり、指導者は一定の犠牲を許容し、であれば、密集だろうと散開していようと、たいした問題と考えていなかったようだ。