開いた話、閉じた話、先のその先のその先

ボーイミーツガール物は、ハッピーEDより切ないセピア系EDのほうが名作といわれます

 これに関する話は無数にあると思うが、文献は調べず記述。面倒だから。
 新井素子氏には持論があって、それは、苦難を乗り越えてお姫様が王子様と結ばれたら、空から石が落ちてきて二人は死んでしまうべきだ、というものだった。結ばれたその先に待つのは、煩雑な結婚式の準備かもしれないし、煩い姑かもしれないし、夫の浮気かもしれないし、子供は不良になって盗んだバイクで逝くあてもないまま走りまわるかもしれないし、それらがクリアされても退屈な日常が待っているだけかもしれない。それならば、幸せの絶頂の内に隕石で潰されるべきだ、と。

 幸福は、過ぎてしまえばただの小さなプロセスとして忘却されるだけだ。それは、手に入らないものとして扱われることで、その本質が描写される。そう。人間に必要なもの、なくてはならないものは沢山あるが、欠乏することでしか、それは表面化しない。酸素。水。塩。炭水化物。繊維。ビタミン。情報。他者。歴史。記憶。音楽。ビジュアルファンブック。牛丼。不在により、その価値は例えようも無く高まる。手に入らない、腐り姫のVFBは、この上も無く素晴らしいものに想像されるのだ。七つの橋はアレらしいけど。
 
 例に出た、空に住む少女と、地上に住む少年との(夜のプールでの)出会い。それによって、少女は安らぎを得て、少年は強さを得て、で、運命的な別離を迎える。もし、はぴーえんどを迎えたらどうなるか。前述の、シンデレラのジレンマ、が残るだけだ。