"努力"というもの。

 ニート問題などを見ていると、レトリックの問題に突入しているような感もある。

 自分にとって努力とは、「持っているリソースをより多く分配すること」を意味するが、ある種のポジティブな人間にとっては、「リソースを入手すること」さらには「環境を改変すること」を意味している。
 実際のところ、たいがいの人間は持っているもので何とかするしか無いのだが、すると

・自分は持っていないので「倫理的に悪くない」
・いや、それは「持つ"努力"」を怠り、「環境を改変する"努力"」を怠った、つまり怠慢だ

という、終わりの無い議論が始まるようだ。

とはいえ、

・持たざるものは、持たざるが故に、援助を受ける権利がある

という言説は、権利を保障する

・持てる者の支持

が必要であり、持てるものにとっては、

・どんな詭弁であろうと、説得されなければ勝ち

なのである。