ラノベ右翼・ラノベ左翼
http://kantei.am/1677/
もう、テストものはお腹一杯、という方は華麗にスルーしてね。
私は72Pts,左翼でした。
得点分布は、23サンプルという少ないサンプルながら、40と70あたりにピークがあって興味深いものでした。
参考
けよりな 四択
http://augustfan.exblog.jp/2907707/
もう、テストものはお腹一杯、という方は(以下略
こういうのが好きな人は、↑を利用するといいと思う。
http://kantei.am/1677/
もう、テストものはお腹一杯、という方は華麗にスルーしてね。
私は72Pts,左翼でした。
得点分布は、23サンプルという少ないサンプルながら、40と70あたりにピークがあって興味深いものでした。
http://augustfan.exblog.jp/2907707/
もう、テストものはお腹一杯、という方は(以下略
こういうのが好きな人は、↑を利用するといいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060305#1141578045
1、突き詰めた合理性とキャラクター間の立場相対化(主人公が必ず勝つとは限らない)
2、バトルフィールドの相対化(バトルフィールドでの戦闘ではなく、そこに至るまでの過程のほうが勝敗の決定に重要な意味を持つ)
3、バトル自体の価値相対化(戦闘の勝利自体が物語駆動力となるとは限らない)
同感です。
主人公の戦いが、もう少し大きな戦いの一部である、場合に主人公の敗北が許容されるのではないかと思ったのですが、ペナントを争う野球マンガがそうですね。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060305#1141574912
個人的にすきな言葉はいっぱいあり、「適応放散」というのもその一つ。革命的変化がおこり、発生したニッチにみんなが押し寄せ、分化を繰り返すというのは楽しいものです。あと「ブリコラージュ」とか。
適応放散
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C%E6%94%BE%E6%95%A3
読了。
そんなに厚くない本だけど、読むのに時間が掛かってしまった。感想は略。
http://d.hatena.ne.jp/imaki/20060302#p1
メイゼルたんは相変わらずのド変態でした。クラスメイト(委員長・眼鏡っ娘)の泣き顔にハアハアしてるんじゃありません。
彼女にとって「好き」とはつまり、泣き顔が見たい、屈服させたい、というものですが、ならば、「好かれたい」という欲望はどのようなかたちをとるだろうか?
あたしがせんせを好きなようにせんせががあたしを好きならば、せんせはあたしを屈服させようとするに違いない。
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20060305/HachuRhetoric
>>例えば「ニートは良くない」という「B」にあたる意見を通したいんだけど、一応反対意見にも目配りはできてますよ〜という譲歩のサインも示したい。そっちの方が「オトナ」で「スマート」だからね。ってことで、「たしかに...A...」を強引に挿入します。でも本来なら、「たしかに...A...、でも...B...。なぜなら...C...」というように、AよりもBの方が重要だとする理由「C」を入れなければいけないんですよね。
http://blog.livedoor.jp/raibudoaroguin/archives/50426334.html
それでイギリス人の友達に「普通の女の人じゃなくて、うんと可愛い子とお酒を飲みたい時は、どうするの? バーにはなかなかいないでしょう」と言ったら「エスコート・エージェンシー」というのがそれに該当するそうだ。一緒に食事してお酒飲んで、大抵はセックスも付いてくるという。これは要するに、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に出てきたような高級コールガールだよね、キャバクラ嬢とは違うよね、と思う。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060306/p1
A:この世界では、誰かを踏みつけにしないで生きることは不可能である。
B:誰かを踏みつけにしている人は、「踏みつけにしないこと」を説く資格はない。(嫌倫家テーゼ)
C:「踏みつけにしないこと」と説く資格のある人はいない。
このような人たちはすべて、自らのありようの中に矛盾を発見し問い直し、そしてそれをエネルギーにしていくという人たちであり、こういう人たちだけが、世界を別な姿に変えていく可能性を持っている。嫌倫家テーゼは犯罪的なまでに不毛である、と。
新しい言葉をクリップ。
ちなみに、私は、対称性が最後から二番目の正義だと思っている。だから、自分が誰かを踏みつけながら、他人に踏むなという人間は、信用できないことが多い。ではどうするのか。自分も、他人も踏み方を軽くできる方策を提案し、お互いに踏み方を軽くするのだ。「踏んでいる限り、軽くても重くても同じである」というのは嫌倫家テーゼと変わるところがない。
http://d.hatena.ne.jp/j_m_w_t/20060306/1141574446
という殺人者についてその悪性を知りつつ「悲しむ」
事は弟の億泰の権利でありその億泰が兄形兆に庇って
貰った事を一抹の誇りだと見なして何故いけないか。
私人としてならいいんじゃない?
ただ、公人としては、ちゃんと勤労し、納税をし、適切な投票をして、治安維持に努めるべきだと思う。
安い魚が食いつきに来ましたよ。
http://www.hatena.ne.jp/1138120442
将来、「心を持つ人工知能を造った」、あるいは「人間の意識をコンピュータに転移することに成功した」と主張する人が現れたとします。そのコンピュータを前にしたとき、どのような方法によれば意識の有無を判定できるでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/mind/20060127
Aが上手に、
舞台演劇や政治芝居をこなす
など、判定者に意識があることを利用して、
判定者に嘘をついたり
囚人のジレンマで協力し合えたり
――チューリングテストにおいて、被験者の男と女が協力して、性別判定者を騙すというゲームをするようなもの。
して、つまり相互認識できた場合に「意識がある」ものと社会的に認知する、(そういう、お約束にしておく)
というテストが個人的にお勧めです。
最終的には、意識の定義によると思うのだけど、自分の考えを書いておく。
Aが他人の「行動原理」を言動から推定でき、その機能を再帰的にAに適用できたなら、それは「自意識」と呼んでいいんじゃないかな。その機能をもう一度他人に適用し、内面まで推定できたらもう、転がりまくる。この場合、「心を持つ人工知能を作った」つくりかたにもよるかな。チューリングマシーンな人工知能なら、ソースを見れば心の実装状態がわかる筈だし。
もっとも、この共感テストの場合、莫大なデータをいれたAIより、飼い主の遊んでくれそうな気配を察知して甘える犬のほうが高得点を叩き出しそうではある。
http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20060306/p2
さて、ここで、ブームを起こしたエロゲヒロイン、を考えてみる。
rev:エロゲの販売数
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/rev%3a%e3%82%a8%e3%83%ad%e3%82%b2%e3%81%ae%e8%b2%a9%e5%a3%b2%e6%95%b0
これを見れば楽勝な筈だ。
2005年 言葉様。
じゃなくて、いいんちょとタマ姉ぇあたり?
2004年 凛
2003年 月姫ブームってこのへんだったっけ?
2002年 雪さん、音夢
2001年 君望、水色と活況だったような
2000年 観鈴
なんか違うような。発売日とブームとの間のタイムラグ、があるせいかな。
http://inagawa.ath.cx/yamagu/Info/200603info.html#info20060305-1
ある機械兵に友の名が記されているのを見て、不審に思うザイリン。とそこに、友の声が。そう、ゾイドに乗れない体の友はそれでも機械兵のなかに閉じ込められていた。友を出させてあげようと服(?)を開ければ、そこにあるのは輝く光。もはや友は魂だけの存在だった(このメカニズムは今まで出た技術の範疇からちょっと外れている気がした)。
このシーン、機械のカバーを空けると、培養槽のなかにホラーでスプラッタな友の姿が!もはや彼は、培養槽を出て生きることはできない!!というパターンを想像したので、やはり子供向けだとこうなるのかな、という印象でした。
http://www.august-soft.com/exp/vote_ex.cgi
リースは4位。
上位3人の壁は厚そうだし、まあこんなものか。
「古代の遺物」(オーパーツとかルビ振ったりして)を封印してまわる、月よりの使者、「魔法少女リースリット・ノエル」を想像してみた。深夜、1クールで。お約束の僕には、イタリアンズを。はっ。カレンさんはライバルキャラに?
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50403382.html
何と言っても本書の特徴は、いじめの当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護と補償しかなされないが、いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。
傍観者が、目撃者になろうとすると、
「当事者でもないくせに」
「正義の代行者ぶりが気に食わない」
とブクマされること必至かと。
マルチン・ニーメラーの言葉
はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。
いじめが学校で無くならない理由はいくつか考えられ、一つにはいじめが(いじめにあう人間を除いては)合理的だからだろう。あと、日教組的なものは、「強制力を伴わない倫理の実施」を目標としているが、「強制力を伴わない倫理」は無意味であること、それどころか「強制力を伴わない」命題が、倫理とみなされないこと、があるんじゃないだろうか。