"嫌倫家テーゼの隠された党派性を暴く"

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060306/p1

A:この世界では、誰かを踏みつけにしないで生きることは不可能である。

B:誰かを踏みつけにしている人は、「踏みつけにしないこと」を説く資格はない。(嫌倫家テーゼ)

C:「踏みつけにしないこと」と説く資格のある人はいない。

このような人たちはすべて、自らのありようの中に矛盾を発見し問い直し、そしてそれをエネルギーにしていくという人たちであり、こういう人たちだけが、世界を別な姿に変えていく可能性を持っている。嫌倫家テーゼは犯罪的なまでに不毛である、と。

 新しい言葉をクリップ。


 ちなみに、私は、対称性が最後から二番目の正義だと思っている。だから、自分が誰かを踏みつけながら、他人に踏むなという人間は、信用できないことが多い。ではどうするのか。自分も、他人も踏み方を軽くできる方策を提案し、お互いに踏み方を軽くするのだ。「踏んでいる限り、軽くても重くても同じである」というのは嫌倫家テーゼと変わるところがない。