萌芽

http://homepage1.nifty.com/maname/log/200601.html#162136

http://www.h-yamaguchi.net/2006/01/post_2255.html
(情報元:[MM]StarChartClip)
今後、杉山あかし氏が熱くなりそうな予感!九州大学助教授で、最近の研究は

>2000〜2002, 萌芽的研究「コミック同人誌活動のカルチュラル・スタディズ的研究」
>2003〜2005, 萌芽的研究「おたく文化系コンベンションのカルチュラル・スタディーズ的研究」
>2004〜2007, 基盤研究(B)「コミック同人誌即売会『コミック・マーケット』の文化社会学的研究」

萌芽、に萌えを感じた。

「精神的な健康の総量は一定」:斉藤環氏、ユートピアの精神分析

J.G.バラードの1996年作品『コカイン・ナイト』評。
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/saito/sv0202.html

 僕は精神科医として、ひとつの幻想に取り憑かれている。それは「あらゆる共同体における、精神的な健康の総量は一定である」というものだ。

サルベージ。

メディアが媒介するのは情報とは限らない。それはむしろ欲望であり、感情であり、センセーションだ。しかしバラードは危惧する。「人間の自己破壊のための才能がうまくコントロールされうること、あるいはせめて、より生産的な形に結びつけられることを私は望むが、しかし私は疑っている。近代的な電子テクノロジーが人類に、その精神病理とゲームのように戯れるためのほとんど無限の力を与えるにつれて、われわれはひどく移ろいやすく危険な時代へと移行しつつあるように思う(Jean-Paul Coillardによるインタビュー記事より)」

 だからバラードの発想の流れは、僕にとってはごく自然なものに思われるのだ。瀕死の共同体を活性化するには、適量の毒が、コントロールされた病理が必要であるということ。そう、まさにエストレージャ・デ・マルにおいて、承認済みの病理をまき散らす魅力的なトリックスター、ボビー・クロフォードの存在が要請されたように。

シーケンシャルな読書は探偵小説が開拓

http://d.hatena.ne.jp/N31/20060115

本あるいは読書をめぐる世界の変質 粉川哲夫
http://www.honco.net/9809/ar-kogawa-j.html

W.J.オング『声の文化と文字の文化』(原著1982年刊。桜井直文ほか訳、藤原書店)によると、シーケンシャルな流れに従って前から後ろまで読み通すことは、19世紀の探偵小説において大衆的な規模で定着したのであって、印刷技術にはもともとそうしたシーケンシャルな読みという特質が潜在していたとしても、それ以前の近代の小説形式においては、印刷技術以前のオーラルな物語文学から継承された「挿話のパターン化」という性格が依然有力だった。したがって、探偵小説以前の小説は、いわばどこから読むことも可能であったのであり、読み通す必要はなかったのである。

バッドエンドだからこそ愛されるキャラクター

http://nozomism.hp.infoseek.co.jp/higurashi/index.html#1201
via
http://blog.goo.ne.jp/kamimagi

 うまく説明できないけれど、救いのない無惨なバッドエンドだからこそ受けているというか、キャラ達が「狂い・殺され・壊される」部分まで含めて愛されている、というか。製作者側も含めて、愛情と破壊衝動・世界への愛着と破滅願望が表裏一体になっているように思えます。

最近読んだもの

アンダカの怪造学 vol.2

 ブライトライツ・ホーリーランド乙。


バイトでウイザード
 人気らしいけど、かなり鬱展開。


蟲と眼球と殺菌消毒 (MF文庫J)

蟲と眼球と殺菌消毒 (MF文庫J)

 これも鬱展開。


レジンキャストミルク 2
 

姉萌えについて雑感

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%8C%E3%81%88

姉萌えの原点は正確にはわからないが、妹萌えよりも新しいものと思われる。 以前にも恋愛ゲーム、アダルトゲームなどで年上のキャラはいたものの、 姉萌えという用語が浸透する事となったのはアダルトゲーム業界において、2003年6月発売の姉、ちゃんとしようよっ!(きゃんでぃそふと)が注目をあびた事が少なからす影響しているであろう。 また、このことによってその後たくさんの姉ゲー(姉萌えの対象となりうるキャラクターの登場するゲーム)が作られる事となった。


姉ゲ年表
http://www1.ttcn.ne.jp/~blackwidow/anetop.htm
ずっと昔から、姉は登場人物として登場していた(RR)。


 個人的には、メインヒロインが「姉属性」な萌えゲな、秋桜の空に、を転回点として推しておく。


姉ゲーについて語る PART 13
http://idol.bbspink.com/test/read.cgi/hgame/1134991118/l50

1 名前:名無したちの午後 投稿日:2005/12/19(月) 20:18:38 6sUFOUOJ0
ここは姉、姉的キャラの出てくるゲームについて扱うスレです。
従姉・年上幼馴染のお姉ちゃんなど血縁がなくてもOK。
ダダ甘姉から罵倒・憧れ・背徳まで熱く語り合いましょう!


【お姉ちゃんとの約束☆】
 当スレには色々な姉萌えの人が居るので、広い心でマターリ進行を心がけなきゃダメだぞっっっっっっ♪
 属性の好き嫌いを語るときは程々に。周りへの配慮も忘れちゃダメだぞっっっっっっっっっっ♪

【前スレ】
姉ゲーについて語る PART 12


5 名前:名無したちの午後 投稿日:2005/12/19(月) 20:27:42 VEVZ5mH+0
 >>1乙
いつまですずねえがテンプレの約束お願いしてんだ

と、大人気だし。

"ハーレムエンドの話":追記

http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20060117

[エロゲ] ハーレムエンドの話  (REVの日記より)
   まず主人公の能力が高くないとハーレムは難しい。(ex:ランス)

 そうそう。まさにこれ。
 ユーザーの願望とか、そういうものを抜きにして、主人公の能力が高くないとハーレムって成立しないよな。Sultan、という中近東を舞台にしたゲーム
http://www.light.gr.jp/light/main.htm
があったけど、主人公がヨワヨワで、ハーレムものじゃなかったし*1


幻燐の姫将軍2、は主人公が魔王っぽいし、RPGなのでヒロインは一杯。
http://www.phoenix-c.or.jp/~eushully/eucd_005p6.html
 ティファーナたんがいれば、あとはいなくてもいいや←プレイヤーがヨワヨワ。



そんなわけで、ハイスペック主人公がヒロインを転がす、正当なハーレムモノと、ロースペックな主人公がヒロインを選択できず、主人公の周りをヒロインが転がりまわる擬似ハーレムは区別しないといけないのね。
 

参考:ヘタレ主人公入場…?
http://d.hatena.ne.jp/REV/20051001#p5

*1:同じメーカーなら、僕僕とかDMFをやっていたほうが勝ち組だったかも

釣られ芸:科学と疑似科学

とりあえず思ったのは「科学と疑似科学の区分をやめよう」という文章に対して事実上「科学と疑似科学の境界が曖昧になっているから、その区別をもっと明確にしなければならない」というコメントはどうなんだろう。かなり考えてしまう。

 なんか、釣り針から逃れても、また釣られにきましたよ。 
 発言者が大衆に、「区分をすることは不利益である」
 と発言し、それに対して聴衆の一人が、
 「(区分をすることは利益になる)から、区分を明確にすべきだ」
 と言っても、別に不思議ではない。


 利益でなくて、
 「区分が倫理的に不当であるから、区分をやめるべきである」
 という発言であったとしても、
 「(たとえ倫理的に正しくないとしても、生活上利益になるので)区分を明確にすべきだ」
 という、応答でおかしくは無い。


 科学者側の、「従来の科学と異なる手法」への非認知を「異端宣告」と解釈して、倫理的不当さに結び付けているけれど、それって解釈の問題かと。ともあれ、「現在疑似科学といわれているものを、”科学”に取り込むことの利益と倫理性」を追加するのではなくて、議論の形式論にもっていく論法は、参考になる。