雑記

中村うさぎの位置づけについて

えー、自分的には『ライトノベル』は1988のロードス島戦記の出版を端緒としてる。
それ以前にもソノラマ文庫やノベルスで魑魅魍魎怪力乱神を語る小説が出版されていたが、便宜上『ライトノベル 以前』としている。ジュニア小説…だけじゃないかな。

ロードス島戦記以前にロードス島戦記はないのだから、当然ロードス島戦記の作者は出版前にロードス島戦記を読んだことはなく、ライトノベルを読んで育ったことはありえない。1986年からコンプティークでリプレイが開始されていて、まあ、グループSNEの面子である。初期のヒット作、FQは1989刊行開始だがWikipediaを見ると「『フォーチュン・クエスト』はマル勝ファミコンの増刊号「魍魎戦記MADARA」内にキャラクター紹介及び冒頭部分が掲載」とある。やはりWikipediaによると「コピーライター、テクニカルライターを経て小説家になる」とある。つまり、ライトノベル黎明期はプロパー作家は当然の如く存在せず、こういうところから(も)育ったわけだ。中村うさぎWikipediaによると「『コンプティーク』(角川書店)誌上では「イボンヌ木村」名義でゲームレビューなどを担当し人気を博した」「1991年にライトノベル作家としてデビューし、角川スニーカー文庫の『ゴクドーくん漫遊記』で人気を博す」という記述である。あのへんの雑誌がシーンを牽引していたようだ。
 
 で、スレイヤーズ神坂一の新人賞投稿作で、「ライトノベルの黎明期は、他業種で経験を積んだライターが呼ばれてきて作品を書くのが主流だったが、次第に新人賞出身の生え抜きライトノベル作家が登場するようになっていくことになり、神坂一はその先駆けだった」とWikipediaに引用されるほど。オーフェン秋田禎信も投稿組である。なお、賀東招二Wikipediaで調べると「遊演体」経由の持ち込み。PBM経由のライターって割と見掛けた気も。

でまあ、「「中学や高校の1クラスの中で、本を読むのは5人ぐらい。その5人のパイを取り合うより、残り35人が本を読むように取り込んだほうが、取り合いにもならず利益が出せる」としている。また自身における「ライトノベル」とは「擬音を使って、アニメや漫画を小説化すること」がスタートであり、あかほりの小説は漫画やアニメをそのまま小説にスライドさせたら…という考えに基づき書かれている。」と著作に書かれてるとWikipediaに引用されてるが、じゃあ今、あかほり作品を出版したとして「中学や高校の残り35人」が読むかっていうと…どうなんだろ。

自動車みてる

 乗用車、『プレミアムサウンド』用意してるのと、用意してない車種があるのな。
 一時期BOSEが有名だが、要するに ヘッドセット+ドアスピーカー×4(場合によりドアピラーのツイーター) ではなく、サブウーハーと専用アンプを追加したもの。SUVみたいなワゴンタイプだとリアタイヤ後端の凹んだ場所に、サブウーハー区画を用意したりする。RAV4トヨタプレミアムサウンドだと、ミッドレンジとツイーターをダッシュボード上部におき、ドアスピーカーを低域に回し専用アンプで駆動するもの。
自動車に乗っていて、ロードノイズで音楽がよく聞こえないと欲しくなる。