"オオカミは懐かない!?"、"ふりふろ♪"と、高崎とおる原作のラノベを二作続けて読んだ。前者は、執筆者の後書きすら無かったような。ある種のマンガのような、原作+漫画家、というより、企画(もしくはシナリオ(ストーリーライン))+テキストライター、みたいな分担かもしれない。どうせなら、絵師も囲い込むといいのに。
ぴよぴよキングダム
http://www.elseware.jp/
2004年10月/株式会社メディアファクトリー
執筆・木村航/プロデュース・高崎とおる
ぴよキンも、高崎とおるだったのか。
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ということは、同じ「小説」というカテゴリで売られているとはいえ、ライトノベルの魅力は「文体の魅力で売る小説」とは別の評価基準を持っていると考えても差し支えない、ということが、どうも確かなようです。*2「ライトノベルには、ライトノベル独自の読みがあるのではないか」ということについて疑問が氷解して、とてもすっきりしました。
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070714/1184412696
しかし、それは努力の軽減というよりは、むしろ「手間」なのではないでしょうか。なぜなら、ライトノベル作家として死力を尽くしている彼らの努力をさかのぼれば、結局のところ、彼らが“ライトノベル作家として生きることを選ぶほどに”熱愛した数々のフィクションが存在すると考えるからです。*5
しかし、もし、消費者側が、その作品にある想像力が本当に好きで好きでたまらなくて、その作品の理念のところまで真似をしたいと、受け手側が真剣に思えるのであれば……作家が培ってきたたくさんのフィクションを根元から追いかけ、作家が成した努力をはじめから自分なりに追体験した方が、結果的には効率がよいように思うのですが。