ちいさなシステムの中と外

共同体でも、神でも、国家体制でもなく、今の若者はシステムに従属してるんや!
なんていうのは20年どころでなく古い話かもしれない。


最近の若者の行動は「できることはやってよい。やっていけないことはできないようにしておくべきである」っていう発想が背景にあると思っていて、それは昭和の「できることはやってよい」とも、ドストエフスキーさんが生きた19世紀中ごろのロシアの元大学生の「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」とも違う位相な印象はある。
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倫理はなく思想もなくシステムへの適応で社会を図るポリシーは、逆に彼らにシステムへの適合を強いてるのかもしれない。「失敗を怖がる」「正解を欲しがる」傾向がそれである。論理展開は面倒なのでやめておくが、自民党支持も似たようなものだろう。古い人間にとって「政権」は捨てられるものだが、古い人間にとっても「通貨体制」は捨てられるだろうか。「TCP/IPで繋がったインターネット」は捨てられるか?それらに対立し混乱させるより、支持し活用するべきではないか?