今日の両手論法

「〇〇だからといって、××していいわけがない」
「〇〇だから、××するのは仕方がない」

「あの問題とこの問題は全然違う。単なるミラーリングは無意味」
「あの問題とこの問題は全くおなじ。ミラーリングを理解できないお前は無能」

これを1msで使い分けられないとこの世間は渡れない。


「費用を投じたのだから、リスクをとったのだから高額な価格は正当化される」
「費用を投じたのだから、高額な価格を払う必要はない。300億円掛けたハンソロ、1人しか見なければ300億円払うのか」



イタリアの跳ね馬が目印の自動車、ミッドシップなエンジンだとタイミングベルトを交換するのにエンジンを降ろさなくてはいけないらしく、工賃が数十万円掛かるという都市伝説がある*1。そういうのも、

「エンジンの脱着に工数が掛かり、ブースも占有する。高額の工賃は当然である」
「ベルトを変えるだけ。そのために掛かる時間なんか消費者には関心が無い。イヤなら扱うのをやめればいい」
という両手論法が出現する。


リスクもなあ。
「リスクがあるから、当たったプロダクトの高利潤は当然」
「外れたプロダクトの損を俺に払わせる気か」

*1:日本車だと普通そういう設計はしない。客に文句言われるからだ。その分、スタイリングとかに妥協はでる