"なんでパチンコに人が群がるのかがわかって、いろいろと切なくなってしまった"
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人間、脳のユーザーメモリの3%くらい使って生活しているのだが、ある種の「ゲーム」とか「遊び」とか、そういうのに没頭するとユーザーメモリが全て「ゲーム」で埋め尽くされ、押し寄せる情報を捌いているうちに悩みだの苦しみだのが洗い流される境地に達する(達するのか?)普段なら読めない手が読め、避けられない弾を避け、見えないものが見えてくる。
「じゃあ、なんでそのへんのピコピコやらずに金をスるパチンコやんだよ」ってことになるが、それは扱うものに持つ「バリュー(価値)」であり、そして獲得することによる「報酬」なんだろうな。もちろん、最近のパチンコは演出が多彩であるが、家庭用中古パチンコ*1を買って家でやって満足する人ばかりではないところを見ると、パチンコ玉の換金可能性が、パチンコ台の演出にバリューを与え、それが熱狂を加速させるとか、そんな効果があるのだろう。
換金性のないビデオゲームだと、「全国ハイスコア」「仲間との競争」なんかが報酬となることもある。ゲーム内でストーリーを構築し、それがバリュー感を与えるっていうのはよくある話。「純粋なゲーム性と、世界観、キャラクター性…」とか20世紀っぽい話も思い出す。
バリューの高い情報っていうと、SNSのLike!とかRTとか、そういうのもそうで、まあそんな感じ。