差別構造下の

 女性差別*1の社会構造を構築することで、女性を男性に依存させ、関係を強化させるシステムが世界に普及していた。それはそれで、当時、何らかの合理性があったことが示唆されるが

  • (物質的)環境が変化し、差別解消が合理的になってきた
  • 非合理であっても(=社会的コストが上がっても)、差別解消が正しいとされる社会になってきた

ので、差別は解消される方向になってきた。


 以前は、社会*2に従属し協力することで、女性を入手することができたらしいのだが、その経路は失われつつあり、必要なのは社会への従属でなく、直接女性と関係を形成する意思と能力になっている。そんな印象を持っている。


「社会に従属したのに、社会は俺に女を与えない」
って言ってみたところで、『社会』ちゃんは金も女も与えてはくれないのが不幸の一つで、異性関係だけでなく、同性や仕事関係においても、社会に従属した個人同士が、社会を通じて交流を持つっていう導線が弱体化していて(いや、昔にあったのかっていうと困るんだけど)、直接個人同士交流を形成する必要があり、その能力に欠けると、異性関係だけでなく仕事関係も弱含みになる可能性が出てくるっていうのが不幸のもう一つか。
 

*1:特に、区別とは区別しない

*2:国とか会社とか大家族とか地縁とか区別しない