"何がそんなに憎いのか"男女同権

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20090317/p1

 人間を(もちろん、生物学的な性の存在は認めるよ)、「(社会学的な)男」と「(社会学的な)女」という型で鍛造し、それぞれモノカルチャー経済の如く欠落を持つ存在にし、その偏在を交流の源泉とする社会、というのは、近代以前にそれなりに機能しており(髷だって弁髪だって参勤交代だって機能していた)、「(社会学的な)男」の存在を前提とすれば、「(社会学的な)女性性」はそれなりに有用で、その逆もそう。
 「(社会学的な)男(女)」というのは、生物学的な男(女)ほど自明ではなく、古い型は、鍛造される個人にとって、酷い抑圧じゃないか、という話は、それなりに尤もで、だけど、欠落をもって鍛造されたが故に、相補性を発揮して社会を構築した過去を考えると、ちょっと寂しいものではある。


 まあ、旧来の社会を支配する側、大家族制での家長w や大奥様ww な立場からすれば、イヤな話だろうけど、そういう権威者から抑圧される立場で問題が起こるというのも、イヤな話でもある。