ドラム缶理論

ドラム缶はほぼ円柱形なので、地面に立てれば上からは円に見え、横からは長方形に見える。いま、二人の人が一本のドラム巻を上と横から見たとき、一人は「このドラム缶はまるい」と言い、もう一人は「いや、このドラム缶はまるくない。角張っている」と言ったとしよう。どちらも間違ったことは言っていないが、だからといって「ドラム缶の形は見る人によって違うのだ」などと総括して、さらに「唯一無二の客観的な『ドラム缶の形』などというものはありはしないのだ。すべては見る人の主観によって決まる。いわば、ドラム缶の形は見る人の数だけ存在する!」などと言い立てられるとちょっと困る。それは無茶というものだ。

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080607/1212820023

 ドラム缶の構造を疑う人は少ない。ただ、ドラム缶の価値については、いろいろな意見があるだろう。
 「ドラム缶があります」
 「なにスカしたこといってんだよ。こんだけの、ガソリンどうすんだよ」
 「ドラム缶はドラム缶に決まってるでしょう。あなたはドラム缶の客観的実在を疑うのですか」
 「だから火がつくと危ないだろ」


 書物の、文字列の実在について、疑うものは少ないだろう。
 「このページ、ほら、真横から見ると真っ黒に見える」
 という人は少ない。


 ガソリンエンジンの車にとってはガソリンは燃料だし、ディーゼルエンジン車には爆発物だ。
 もちろん、目的論的に、ガソリンはガソリン車の燃料となるが、方法論的には倫理的ではない、という人もいるだろうし、すべては夢幻、という人もいるとは思う。