http://d.hatena.ne.jp/yuyu99/20070206/p2

人々が働かない社会がやってくるためには、人々の欲望のレベルが、底まで下がらなくてはならない。必要以上のものは何も求めない人々が、多数を占めなければならない。そして、その多数が権力を持って、必要以上の欲望を持とうとする人たちを抑圧しなければならない。


そんな未来は希望ある未来ではない。前も書いたが、働かないでよい社会は、抑圧的な社会である。ユートピアなんかでは全然ない。


 自分の昔のエントリーより。
 カンボジア人は、一日分の食い扶持が溜まると働くのをやめるそうだ。働かなくてもよい社会。
 ベトナム人は夕方まで働く。すると、経済格差が生まれ、裕福になるベトナム人と、貧困なカンボジア人。
 そして、中国人は、貯めたお金で商売を始める。
 結局、カンボジア人は、種を買ったり農機具を買ったり納税したりするときに、華僑から金を借りることになる。するとどうなるかって言うと、そこそこ裕福なベトナム人の脇で、華僑に利息を払うために生きるカンボジア人の出来上がり。
 ちなみに、夜まで働いて、店頭にならべる林檎を磨くのが韓国人らしい。アメリカで、ボートピープルが朝から夕方まで果物屋を開いていると、夜まで働く韓国人の果物屋に負けてしまうとか。
 そんな話を読んだことがある。原因なのか結果なのかは分からないけれど、東南アジアでは玄関の前でのんびり腰を下ろしている男性をよく見かけた。


 引用内の文章は、いくらか誤解を招いているようだけど、主語を抜かして誤読を招くのは釣りの初歩だと考えておく。逆切れ芸を準備しているのだろうか。
 ある人間が、「働かない」という選択が可能となる社会は、良い社会だと思う。疾病、外傷、障害があり、療養費を自力で稼ぐことができない人間が「働かないでよい」社会はすばらしい。
 ただ、マルクス的な「欲求」は、生産を増やすことによって(資源のアレはソレだけど)満足させることができるけど、「欲望」には際限がない、また、他人からの賞賛は、他人への優越を必要とするので、
 「人々が働かなくても、ルサンチマン、コンプレックス、などを感じないですむ」
 社会を作成するには、マインドコントロールが必要で、たしかにこれはディストピアかな。


 ちなみに、マスロー的、コフート的、ということは、ラカン的(いや、ぶっちゃけ「○○くんが持っているから○○欲しい」という欲望)は、新石器時代の人間のDNAに実装されたもので、幼児期にたまたまインストールされたプラグインではない、というのが私の今の考え。