"「宿命」のレールを乗り継いでいく、「何者にもなれない」自分"

http://amamako.hateblo.jp/entry/2015/01/19/000332



広い社会(その社会も分衆化しているが)で「何者かに」なろうと思うと、ワナビジネスに身を投じ、ブラック企業に食われるか、岡田斗司夫に食われるかって結末になる。以前から、後進国で「ビッグになる」ためには、「ギャングスター・ロックスター・スポーツスター」しかない、っていう話があり、子どもはサッカーボールを蹴るか、ギターを持って歌を歌うか、ギャングに入るかって選択しか無いらしいのだが、日本もそんな感じに。
もしくは、マックジョブに身をやつしながら、

 ……かつて、ゲーム、アニメ、コミック、ライトノベルに青春を捧げた現代の「オトナ」たちは、世の中に満ちる「閉塞感」や「無力感」、そして「退屈」を相手に、日々それぞれの戦場で戦っています。

「きっかけさえあれば、自分はもっと本気になれる。」

「100%の自分になれる世界が、どこかにきっとある。」

 そんな想いを抱く、孤高の兵士たちへ「物語=夢」を届けることで、彼らを支援したい――。

http://www.famitsu.com/news/201306/25035527.html

異世界転生モノでも眺めるか。


狭い地域社会や家族での承認のネットワークに着地するっていうのが、昔から今まで、バブル前後の一時期を除き妥当な結末なんだけど、それは、「マイルドヤンキー」って言われてる気がする。


狭いネットワークは、幾ばくかの承認と、大いなる抑圧をもたらすので、「俺らマスコミが提示するコースに乗れば、抑圧からの解放と、大いなる承認が手に入るよ(そのためには、この商品を…)」って甘言に乗ってしまう人が出ても不思議ではないし、うっかり乗っちゃった人が軟着陸できるといいんだけど、どんなもんだろ。