「不当な選択を迫ること」を糾弾してもいいが、「「選ばない」権利の保証」という概念が一般化されると寂しい

http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20061022

「選ぶのを待たせるのはどうだこうだ」とあったんでおや、やはりわかってもらえませんか、と思う。

 あー、それについては、私が低脳なエロゲ脳のためです。すいません。


 先のエントリーの趣旨は、受け入れ難い選択肢と受け入れ難い選択肢を複数つきつけて「選択」を強要させることの不当性、だと思っています。

君は「三島由紀夫」と「現天皇」どちらと「結婚」したい、なんて選べるのかーっ!と聞きたい。

これが、その代表ですね。選ばせるのが不当です。


国歌斉唱にしても「歌う権利」や「歌わない権利」がせめぎあっていて、

「そんなこと、選びたくない」って権利は全く出てこない。

 こちらに関しても、「踏み絵」を強要する、その「強要」は糾弾されるべきだと思います。特定の政治的行為を強要し、その実施の有無をカウントして、どこかに報告する、そんなことは行なうべきではないと思います。弁髪政策。



例え話にマジレスも無粋ですが、

そういう「権利」が保証されていたらこのあいだのJR事故の犠牲者の同居人の自殺という悲劇もなかったかもしれない。

こちらは、選択の強要とは違うと考えます。事実婚であっても、ある程度法律の保護を受けますが、「籍の入った」状態とは異なります。これについては、「選ばない権利」を主張するより、「事実婚」を認定する判例を出してもらうとか、同棲届けみたいなものをつくってもらうとか、そんな感じ。それをもって、「選ばない権利」というのなら、それはそれで同意です。

不妊治療を「する」「しない」これも「どちらでもいい」、でも大体二者択一に追い詰められてしまう、

妊娠は、リスクの高い行為です。書くまでもないですね。それは、本人(たち)が考えることで、回りがとやかくいうことではないでしょう。「選ばない権利」の前に、他人の人生設計に、口出しする権利がどれだけあるのか、口を出すほうが熟慮すべきでしょう。それをもって、「選ばない権利」というのなら、それもそれで同意です。




 人間には、自分の行動を決定する権利があります。「不当に」、行動の範囲を狭めることには反対です。「不当に」取りうる行動の範囲を限定し、そのなかで選択させられたことを、「自由意志」と強弁することにも反対します。ただ、 「「選ばない」権利の保証」と一般化して表現することには違和感を覚えます。



 …丁寧語も飽きてきた。「政府」が「不当な選択を迫ること」への反感は、同意するんだ。ただ、自分が、仕事の上で、自分が相手に選択を迫ることはよくある。高性能だけど高価、安いけど低性能、どちらにしても、結果の保証はできない*1。そんなの。相手はどうしようどうしようと混乱したり、他の選択肢はないか、と聞かれたり。別に、選ばなくてもいいんだけど、その「選ばない」という「選択」の結果生じた不利益を、こちらが保証させられるのは困る。
 何度も繰り返すけど、元エントリーの筆者は、政府の不当性に対抗するために、権利という概念を用いているのだろう。それが最も有効だからだ。でも、権利の概念が広まり、その権利を個人レベルに持ち込む人間が出現した場合、色々面倒くさそう*2

*1:普通のPCで、2年保証って言ったって、二年間連続稼動、ダウンタイム15分以内、なんて保証じゃないでしょ?車検したって、二年間、無故障を保証するわけじゃないでしょ?飛行機便も、悪天候なら運休。そんな感じ

*2:あまりいい例ではないけど、報道の自由を叫びながら、犯罪の関係者にインタビューするマスコミ、教育を受ける権利を叫んで、問題行動を起こした生徒の停学処分に抗議する親、とか