例のアレ、ソレ

 自分が耐えられそうにも無いローカルルールを、空気とかコミュニティーとかWeb2.0だとか、そういうもので強要されかねない恐怖、それに尽きるかな。自分は、隅っこで本でも読んでいたいのに、リングに上げられてプロレス技をかけられたり、スポットライトを浴びてカメラを向けられ、なんか喋って採点され、プールに突き落とされたり。でもって、芸とか、いじりとか言われるの。
 自分は強要する方だったり、弱点が無い(少ない)人間だったり、耐性が高かったりという人は、そう思わないのかもしれない。


 俺の感情を第一に考えてくれ、とは云わないけれど、社会通念を考えて欲しい。自分の認容しないローカルルールを適用され、ローカルなコミュニティーで正当化される社会を希望するものではない。

ちょっと追記。コメントアウトしておいたものを復活。

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080708/1215502635
このへんに関係して。


 日本国国民には、一定の人権を設定し、それを保護すべきだと思う。これが大前提ね。


 で、「社会通念上」受忍限度を越える行為は、制限されるべき、と思う。
 本当は、被害者(ちょっと筋が悪い言葉かな。行為の対象者)の感じる感情を考えるべきかもしれない。けど、

  • 俺はバットで殴られても平気だ(だから皆も耐え忍ぶべき)。
  • 私は、家族連れがキャッキャウフフしているだけで耐えられない(から、家族連れを規制すべき)

 となると、やはり、最大多数の最大幸福からは外れてしまう。


 でで、「社会通念」を越える行為は、される側の同意を確認してからにして欲しいし、それ抜きで「芸」「いじり」と言っても、私は納得できない。「つもり」は、あくまでも「つもり」であって、「騙すつもりはなかった」「かわいがりだ」「しつけのつもりだった」「甘えた」「腕立て伏せ」「親愛の情」など、世の中は「つもり」に溢れているけど、「つもり」で、救済にはなったのかな。

感受性について

 ナイーブだとか、敏感だとか、発言者の感覚自体を問題にするコメントも見かけた。



参考:
http://d.hatena.ne.jp/REV/20061010/p1