日常論理と集合論理と単純論理の三角関係はBlogのネタなの

「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」の違いは何でしょうか? 前者の対偶をとると、「水になっていなければ雪はとけていない」ですから、これはいつでもどこでも正しい命題でしょう。一方、後者の対偶は「春にならなければ雪はとけない」ですが、よく考えてみると、この命題が意味をもつのは、冬、雪にかこまれて春をまつ季節の中で、だけなのです。--http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060918/1158590339

 ある冬の日の朝、玄関先は一面の氷だった。
 上記の論理からすれば、「水になっていなければ雪はとけていない」筈だ。
 ちょっと暖かくなり、日中の陽射しで雪の表面は溶けたが、早朝の冷え込みで氷になった。
 常識的にはそう考えるとおもうし、そんな現象はよくあると思う。
 「春にならなければ雪はとけない」
 も同様。


 対偶をとったり、背理法を使ったり、そういう論理マジックを何段階も積み重ねると、論理誤差が蓄積されていくけど、まあ、それが狙いだと思っている。