セラムンに寄せる、オタクの精神分析

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 ところが、このような、赤ん坊の自発的活動性に干渉的・抑制的な対応をする傾向が 「おたく」の親の場合は平均よりやや顕著である可能性があるのではないかと思う。ここで言う「干渉」には、一見肯定的でいながら、子供の行動につき合い過ぎる傾向、あるいは、親の願望を子供に投影して先回り的に満たしてあげようとする傾向のみが過剰で、子供自身の自発的探索に先回りしていろんなものを与え過ぎたり、親が期待する何らかの活動に誘い込もうとし過ぎる傾向も含まれるだろう。これはこれで子供の自然な自発性の発露を殺しているのである。


 恐らく親の方が、子供が勝手に自分から分離−個体化して、子供に「見捨てられて」しまうのを恐れて、子供に無意識的にしがみつき、コントロールして支配下に置こうとしているいていることの結果である。要するに親の方に子供が「親離れ」していくことに耐えられる心の安定がないのだ。それが得てして「愛情」「子供の早期教育」という名の過干渉を産むのである。

 ところが、「再接近期」に、内発的自発性をむしろ撤去しないと親に受容されない体験ばかりが優位になってしまった子供の場合は、この時点であっさりと『偽りの自己』のみによる適応が優勢となり、「手のかからない『いい子』」としての道を歩み始める。

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 この段階で、『再接近期』に自発性をスポイルされた『偽りの自己』による適応タイプの人物の未来は両極端の二通りに別れはじめる。

 すなわち、一方は、

1.自分が実は未成熟であるということを見事に覆い隠してくれそうな『鎧』としての、何らかの社会的な価値を身につけようと過剰なまでの努力を始める場合

である。

 要するに、従来受け身的だった『偽りの自己』による現実適応をより高度なものに高める方向に能動化することによって切り抜けようとするのである。

 そしてもう一方は、

2.失われた周囲との一体感を、虚構の世界の登場人物(あるいは自分の存在を超越したカリスマ的なもの)との関係、あるいは、その虚構の世界(超越存在)を愛している他の同好の士との関係の中で癒そうとする場合。

 幼児期の再接近危機から、オタへの道を歩むまで。この記事が、1994年の発表というのがなんかすごい。読み込んでいないのがアレだが、男女のオタ親和性への性差が、どのへんで生まれたんだろう。