"どっちもどっち"

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アシュタサポテ(2005/12/19)

要するにどちらの説も議論をなすには決め手に欠け過ぎるため、幾ら調べても言い合っても泥沼に陥るだけじゃないか、という予感がまず強い。そしてこの状況で幸せになるには、研究なり体験なりにより信仰を得ることだけじゃないのか、と思う。つまり「自分は知力と労力の限りを尽くして納得の行くまで調査と研究を行いこの結論を手にした、玄米は体に悪い」と記して安心決定を得るか、「私は何十年玄米を食べ続けて病気を克服した、今では風邪ひとつひかない、回りの玄米食の人も皆恐るべき健康体で長生きしている、よって玄米は体に良い」と解脱して布教を始めるか。そんなのどっちもどっちじゃないか。

 「そんなのどっちもどっちじゃないか。」メソッド。
 すべてを相対化しているわけではなく、食生活の寿命への寄与は多くない、という至極もっともな意見。