どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?

http://d.hatena.ne.jp/aesthetica/20051228

以前、田崎英明さんと話していて興味を持った話題に「どうしてSFに携帯電話のイメージが欠落していたのか?」というものがある。80〜90年代のSFやアニメではテレビ電話に類するイメージは盛んに出てくるが、携帯電話はまったくと言って良いほど出てこない。それはどうしてか、という問題だ。

 だって、ケイタイ、はみんながケイタイを持っていることが前提のテクノロジーだし、インターネット(通俗的な意味)は、みんながインターネットにアクセスできることが前提のテクノロジーだし、ミサカネットはミサカが1万人で(以下略。
 ある時点までの携帯電話は、移動できる固定電話、だったけど、ある時点以降は、ケイタイという別の文化となった、と思う。
http://d.hatena.ne.jp/Su-37/

本当に便利な社会に必要かどうか。まぁ、創作の上では 「常に連絡が付く状態だと創作の幅が狭まる」 という制約もあるけど。王道展開の一部は携帯電話によって破壊される。

 ということは、創作を考える上では結構重要だと思うけど。だから、創作では巧妙に携帯電話が排除されたり。