バイブル本が好まれる理由

 たいていのびょうきは偶然に起こる*1のだが、人間は何らかの理由を欲しがる。まず、そこが原点。病気になったあなたに、病気になった理由を分かりやすく説明してくれる、もっというと悪玉を指摘してくれる。
 そう。この段階で、バイブル本(または宗教)の虜。世の中の不幸には、プロセスはあっても元凶のないことは多い。みんな、そんな散文的な状況で間に合わせているけれど、だけど、本当は、物語を欲しがっているのだ。善の物語、正義の物語、悪の物語。医者は、患者の物語を語ることはできない。だって、物語なんて最初からないのだから。そこが、彼らの立ち位置。彼らは物語を供給する。すると、我々は、自分が偶然ではなくて、たとえそれが悪の物語であるとしても、物語の中にあることで安心できるのだ*2
 と、FateHAな話に。
 物語の不在に我々が出来ることは、花札をプレイすることか。

*1:ラプラス説でもいいけれど、神ならぬ我々にとっては同じだとおもう

*2:次は、もちろん、その悪を打ち破るソリューションの販売になる