"ソ連軍戦車兵の手記"

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/tankist.html
via BLUE ON BLUE

3月の14日か15日、私は自走砲を撃破している。この自走砲は、防御陣地に籠ったまま私の左右を射撃していたが、私の戦車が後方に回ったのに気づかなかった。そして私は、獲物の自走砲が体勢を変えるために陣地から出ようとした時、至近距離から硬芯徹甲弾を撃ち込んだ。自走砲は一瞬にして燃え上がった!
 その後すぐに、私の戦車は37ミリ砲を蹂躙した。うまい具合に敵の後方から近づき、踏みつぶすことができたのである。

そのまま戦車は数メートル進み、そしていきなり爆発した!対戦車地雷にやられたのだ。砲塔は照準手と無線手ごと20メートルも吹き飛ばされた(後から自分の目で確認した)。2人とも生きてはいたが、脚は使い物にならなくなっていた。私は爆発の衝撃波で屋根の上へ飛ばされ、そこから中庭に転げ落ちた。ただ、落ち方がよかったおかげで骨折はせずにすんだ。扉を開き、外へ飛び出して通りを見ると、戦車は燃え盛り、弾薬が誘爆を繰り返していた。そして、戦車の前方4メートルほどのところに、大隊付きの党組織指導者が倒れている。彼は燃料を浴び、体中に火がついていた。私は彼の体に覆いかぶさって火を消すと、扉の陰に引きずり込んだ(訳注:T-34の弾薬は誘爆を起こしやすく、戦車が炎上した場合にはすぐに遠ざからないと危険であった。破壊された戦車からうまく脱出しても、敵の機銃掃射などによりその場から動けず、結果的に戦車の爆発に巻き込まれて死傷する兵士も多かったという)。クルーのうち、戦車の中にいた操縦手と装填手は死亡。跨乗歩兵もほとんど全員が命を失った。私はといえば鼓膜が破れただけですみ、軽いケガでこの災厄を乗り越えた唯一の人間となった。