ゼノンの背理

Xeonの背理。SPARC、Powerを置き換えようとしたXeonが、自社のItaniumを置き換えてしまったこと。これはXeonでゼノンじゃないか。


http://72.14.203.104/search?q=cache:mOBRcZRkD3kJ:home.owari.ne.jp/~fukuzawa/nikki11.htm+%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%83%8C%E7%90%86&hl=ja

 有名なゼノンの背理に「飛ぶ矢は止まっている」というのがある。例えば弓から放たれた矢が1cm移動するためには、その1cmの間にある無数の点を移動しなければならない。無数の点を移動するために、無限の時間がかかるので、矢はついにその1cmを移動することは出来ない。

 ここで1cmメートルをさらに10分の1、100分の1、・・・・と分割していくと、やはりこの微少な間隔(無限小)にも無限の点が含まれるので、結局矢はその場所をほんのわずかでさえ動くことが出来ないということになる。

http://72.14.203.104/search?q=cache:0Y9yfIHYgxwJ:homepage1.nifty.com/office-ebara/pc3.htm+%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%83%8C%E7%90%86&hl=ja

② ゼノンの背理(運動についての)

■ 四つの証明で運動が真なるものではないことを示した。
 運動は目標に到達しない。アキレスと亀。飛んでいる矢は静止している。レ−ス場の反対方向に走る車。
アリストテレスの反論
 時間と空間は実際は無限に分割されるのではなくただ無限分割が可能なだけ。
■ ヘ−ゲルの反論
 空間のうちにある点とか連続する瞬間のうちに瞬間がおかれたりすることになんの矛盾も感じられないが「概念としてはそこに矛盾がある」(上、253頁)「自己同一の連続は絶対的なつながりであり、すべての区別や否定や分離独立を抹消するものですが、これに反して、点は純粋な自立、絶対的な分離であり、すべての同一性や他とのつながりを廃棄するものです。が、この二つが空間と時間においては統一されてあらわされるので、だから空間と時間は矛盾そのものです。しかも矛盾は運動においてもっとも明瞭にしめされる。運動では、対立するものが目の前にあらわれるからです。運動とは、まさしく時間と空間の本質であり、実体であって、運動があらわれて対象となるとき、まさに現象する矛盾が対象となっている。ゼノンが注意を喚起したのはこの矛盾だったのです。」(上、253頁)