"私たちは他人の語る理路整然とした話より、自分で作ったデタラメ話の方を信じる。"

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私たちは他人の語る理路整然とした話より、自分で作ったデタラメ話の方を信じる。

必ず信じる。

だって、それこそ「私が聞きたかった話」だからである。

チャールズ・ダーウィンの名言に「研究者は自分にとって都合の悪いデータを記憶できない」というものがある。(ダーウィンはそれゆえ、自説と背馳するデータは必ずノートに記録した。)

逆に言えば、私たちは「自分が聞きたい話だけを選択的に聞く」。

それをさらに進めれば、「適当な断片を与えられれば、私たちは必ずそれを素材にして、自分が聞きたい話を作り出す」ということになる。

 この適当、という言葉が曲者なんだけど。
 つまり、二次創作を作る余地って大事だねという話。
 または、規範から逸脱したデフォルメを持つキャラデザは、創造の余地を残し自分の見たいキャラを作り出すのかな、という話。