"「涼宮ハルヒの憂鬱」第12話を見た。"

http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2006/06/12_db37.html
感想、コメント欄が面白い。
この回では、文化祭の間にキョンハルヒが出会うシーンは描かれないまま後日談に入っている。
元の話は短編なので、それは単に構成上の都合というか、あまり考えないままよんでいたけど。
このエントリーでは社会化した自己実現を目指すことと、それゆえに(一時的にでも)キョンから離れてしまうことの葛藤、みたいな側面を記述していて非常におもしろかった。
 このハルヒなら、キョンと二人の閉鎖空間ENDみたいなものは選ばないだろうな、ということで。


参考
http://d.hatena.ne.jp/cherry-3d/20060622/1150971768

投票すること

 なんらかの、選考会をする場合、ある程度要件を決めないと結果の評価は難しい。
 小説大賞、なんていう場合は、「売れるであろう作品」とか「評価されるであろう作品」を選考者は選ぶわけだ。もし、自分が選んだ作品が売れなかったり、評価されなかったり(逆に、自分の選ばなかった作品が評価されたり)した場合、選者の評価が下がる。もちろん、顔色を見すぎて全員一致でヘタを打ったり、選者のポリシーが感じられない投票行動をしても、選者の価値が下がるので、まあそういう感じで。
 評価軸には色々考えられて、「初心者に勧める作品」「埋もれた名作」などあげられるかな。単なる広範囲な投票の場合、売れた作品のリスト、に類似する可能性がある。ある種の雑誌の「歴代ベスト作品」投票が、最近のタイトルの売れ行きベストとあんまり変わらなかったりする、そんな感じで。
 じゃあ、ポリシーを前提としない投票に、意味はあるのでしょうか、と形式疑問文を書いても仕方がなく。
 COTYは、ジャーナリストだっけ?が今年の車、を決めるもので、ある年は速いクルマ、ある年は環境に配慮したクルマ、ある年は完成度の高いクルマ、ある年はユニークなクルマ、みたいに、ある意味で、基準軸を選ぶ投票、になっている*1
 そんなわけで、ラノリン杯はその運営ポリシーについて、あまり口を出すことはないかな。紫、円環少女が意外に票をあつめていたのは印象的。Bloggerは結構ロ(以下略)。2006年になると、SHI-NOや、ホロが入ってくるのが楽しみ。

変にからまずにS/T/T

(僕個人は『サマー/タイム/トラベラー』にも『涼宮ハルヒの憂鬱』にも別に何の屈託も拘りもないです。『さくらむすび』でSFガジェットに頼らなくても武器を手にしなくても「現実」に宣戦布告し「世界」を覆すことが出来るって知ってしまってるので。)--http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20060622

 自分個人が過去にも、現在の現実にも屈託持ちまくりなので、なにか引っかかる作品を見つけると、そこから過剰に意味を読み取っているのです、と態度表明することに留めておきます。

*1:なんか、裏でカネが一杯動いているらしく、そういうものを想像するのも楽しみの一つらしい

ベスト オブ なんとか

アニメのDVD_sales
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/DVD_sales


rev:エロゲの販売数
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/rev%3a%e3%82%a8%e3%83%ad%e3%82%b2%e3%81%ae%e8%b2%a9%e5%a3%b2%e6%95%b0
本数でソートしていないので、歴代何位、というのは脳内シャッフルしてね。


コミックスの総売上
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%82%b3%e3%83%9f%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9%e3%81%ae%e7%b7%8f%e5%a3%b2%e4%b8%8a
少女マンガ


ライトノベル、発行部数のシリーズ総計
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/%e7%99%ba%e8%a1%8c%e9%83%a8%e6%95%b0%e3%81%ae%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%ba%e7%b7%8f%e8%a8%88


参考:
年表表:http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/OTAKU_chronicle

ディーゼルvsガソリン

http://response.jp/issue/2006/0620/article83073_1.html

18日に終了したルマン24時間レースで優勝したアウディ「R10 TDI」は、ディーゼルエンジンのパワーと燃費によるパフォーマンスの良さが光っていた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20060620/104753/

 だから、もう断言してもいいだろう。確かにディーゼルは速い。

 確かに、参入を促すためディーゼルに有利な規制になっているという見方はある。使える過給圧は2.94バールと、とんでもなく高い。ただし、ガソリンエンジンでこんな過給をすると、ノックして走れなくなる。有利不利の問題でなく、技術的な違いと考えてよい。

究極のOHV

純レーシングエンジンの変り種として、1994年のインディー500に優勝したペンスキーメルセデスがあります。
3400ccのプッシュロッドを持ったV8ターボエンジンで、1万回転も回って1000馬力以上出たそうです。当時の特殊なレギュレーションの穴というべきOHCの純レーシングエンジンのリミット排気量2650ccに対して,OHVの市販車ベースは3430ccまでOK(ただし2バルブ)。更に、過給圧も通常の1.2倍まで許されていたのでした。最初は出場者を増やす目的で本当に量産車のシリンダーブロックを使わなくてはならなかったのですが、このレギュレーションをつかう人がいなかったらしく、ついにスペシャルブロックでも良くなって、そこにペンスキーが目をつけたらしいのです。
http://next.blog.ocn.ne.jp/piston/2005/10/post_625b.html

 つまり、レギュレーション上、OHVの方がOHC(DOHC)より有利になる場合もある、という話。


ディーゼルは、原理上燃費が良く、CO2も少ないけど、
圧縮比が高いため振動が起こりやすく、エンジンブロックが大きく重くなったり補機類が高価になる。
で、ディーゼル・パティキュレートが出現するのでDPFをつけなくちゃならない。
また、軽油自体の品質が問題で、硫黄分が含まれていると硫黄酸化物酸性雨だったり、粗悪な重油や灯油を混ぜたりすると、もう環境どころではないというか。このへんになると、北海と中東の原油の質の違い、軽油と灯油・重油の課税の違い、もあるのでなんとも。*1

あと、軽油のほうが炎上に強い、という話があるけれど、戦車の装甲を貫通した徹甲榴弾が炸裂して、なんていうレベルではあまり変わらないとか。現実にトラックとか炎上しているし*2


んー、なんていうか、ロータリーが勝つとロータリーを禁止*3して、四駆ターボで日本車が勝つと、もりもり規制をきつくされ*4、というのにムカツクだけ。

モデル    価格   排ガス   燃費   0-100km/h 最高出力    最大トルク
GS430  630万 H17低滅75%  9.1km/L  6.1秒    206kW(280PS) エンジン430Nm
GS450h 680万 米国SULEV 14.2km/L  5.6秒    254kW(345PS) エンジン368Nm モータ275Nm
E320CDI 800万以上 新短期 14.9km/L  7.2秒   165kW(224PS)  エンジン514Nm

2chのコピペ。

*1:ディーゼルという機構のもんだいというより、政治経済の問題

*2:一般的にはガソリンより安全とは思う

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80787

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9

「人間のくず」

【俺は頭がいい】*1
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50540298.html

我々は、どこまで隣人の心配をすれば「人間のくず」でなくなるのだろう?--

四半世紀前の、http://blog.livedoor.jp/dankogaiの管理人氏は「人間のくず」だったかもしれないし、私はクズだ。
プランテーションの低賃金で支えられた東南アジアのフルーツを食べ、アフリカのコーヒーを飲み、
アボリジニを皆殺しにして作られた農場で育った牛を食べる。
マングローブを伐採して作られた生簀のエビを食べ、
アフリカの餓える子供達への食料援助を横取りして購入した武器の輸出国を支援する新聞社や団体を放置している。
殺人犯の死刑執行ボタンを押すこともしないし、妊娠中絶を考えるひとのところに行って、産みなさい、ぼくが育てます、なんていうこともない。
劣化ウラン弾の飛び交う中東で産出された石油で作られた電気で、こうしてPCをカタカタやっている。


で、人間が、「人間のくず」でありながら、ちょっとマシな世の中にするために、税金を払い、社会に良心を仮託して、警察を維持し、海外援助を行い、救急車を走らせ、児童福祉を行なっているんじゃないかな。誰かがBlogをカタカタし、良い意見が広まり、みながより良い政治家を選べば、さらに世の中がちょっとは良くなるかもしれない。「人間のくず」の集まりでも、なんとかなるような社会の構築が理想だと思う。


と、そんな話に理解した。


ていうか、主題はタイトル行の下に。


一応叫んでおきます。
「無制限の生の肯定を!」デカルトデカルト

ライトノベルと自動車会社

 けれども、小説は「技術のみで書けるものではない」んですよ。

 むしろ「技術」なんてものは持っていて当たり前。身に付いていて当たり前のことであって、肝心なのは「それ(技術)よりも遙かに『先』にあるべき物事」を教えなければいけないのに、教えない。学ぼうともしない。

 例えるなら「自動車製造会社は、自動車の作り方だけ知っていればいいのか?」というと、答えは“否”でしょう?

 何故そんなことを「ライトノベル」に当てはめて考えることができないのか? 理解できません。--http://d.hatena.ne.jp/r-motomura/

 ちょっと喩えが分かりづらかったので、勝手に解説してみる。
 小説の、狭い意味での技術を「技術」、自動車の作り方、を「製造技術」「販売技術」、としておきます*1
 現代の自動車会社に必要なのは、去年作られた自動車を今日も作る技術、だけじゃなくて、あたらしいコンセプトを創り、それを実現する技術です。どうつくるか、だけじゃなくて、何を作るか。十年前に流行ったクルマを今日も作り、売れ行き低下は、ディーラーへの報奨金や宣伝でカバーしようとする、大型車の国がどうなっているか(以下略)。車体やエンジンの改良を怠り、ボディーの目先を変えるだけで自動車を売ろうとした会社は(以下略)。
 でもねぇ、自動車会社の人だって、それは100も1000も承知で、ただ、新しいエンジンつくるのに何百億かかるとか、小型車で利益を出せる体制作りに何百億だか何千億だかかかるとか、で、懐かしのV8,6lみたいなピックアップが古くからの需要で売れたり、新車にカッコいいボディーつけて気の利いた宣伝で売れるとなれば、ねぇ。そういう車の影に、良い車は隠れちゃったりするし。

*1:そうしないと、ラノベにパラダイスをもたらす技術、みたいなメタ論になっていまう