同じことなんだけど

「公共に対して皆が自制することで、円滑な生活を送ろうとする」タイプと、
「公共が個人の逸脱を許容することで、個人の豊かな生活を保障しよう」とするタイプに分かれている気がする。


後者は、「個人の逸脱による社会的損害や超過コストは、広く薄く負担すればいい」と主張することが多い印象*1


ともあれ、前者から見ると後者は「わがまま」で、後者から見ると「俺の人権を侵害する国家主義者」に見えるようだ。


国際的には後者が優勢だが、それを許すほど日本の土地は広くない、っていうのが感想。
あとは、日本は「法の支配」と「法治国家」が使い分けられていて、「個人の逸脱が先行したからといって、公共の責任が減じられるわけではない」とかそういう話になりやすい。

*1:ただし、それはベストケースで、「公共の事例担当者がなんとかしろ。出来なきゃヤメロ」あたりに落ち着く