橋の哲学

http://www.jice.or.jp/tech/columns/detail/19

 外環道の凍結を決めたのは美濃部都知事であった。彼は「橋の哲学」などと言い「1人でも反対があれば橋は架けない」という言葉があると述べたが、この言葉の続きにある「その代わり川を歩いて渡る自由を享受しなければならない」を省略して用いたのである。

 扇大臣が外環道の現地入りしたとき、子どもたちが「公害道路反対」などと書いたスローガン入りの看板を持って座り込んでいた。大臣はすぐに子どもたちを立たせ、「都心に用のない車は他所を走って欲しいと思う人!?」などと言ったものだから、子どもたちは素直に皆「はーい」と言ってしまった。お母さんたちが「子どもたちは自発的に来ているのです」とあり得もしない説明をしながらも、大慌てだったのが鮮明な記憶として残っている。


http://shige0328.exblog.jp/d2016-09-21/

どうも最近は東京都も安倍政権を見習ってか上から目線で、お上に従わないものは罰すると言う方針になっているようです。民主主義の基本から大きく逸脱を始めているようで、安倍の目指す戦前の日本に近づいているのでしょう。国家の命令に従わないものは非国民とされる日が近いのかも知れません。美濃部都知事は「橋の哲学」などと言い「1人でも反対があれば橋は架けない」という言葉があると述べ外環道の建設に反対を貫いたのです。しかしこの言葉には大切な続きがあったのです。「その代わり川を歩いて渡る自由を享受しなければならない」を省略して用いたのです。当時荒川を挟んだ埼玉県も革新県政でしたが、積極的に外環道の建設を推進し外環道の直下に湧水機能を持たせることで三郷地域の大雨の時の浸水対策を行いました。当時非常に仲が悪かった建設省の道路局と河川局を埼玉県知事の仲立ちで握手をさせたのです。そして道路公団(外環道)と首都高速道路公団との相互乗り入れでの縄張り争いを埼玉県知事の肝煎りで調整を行いました。今は高速道路や主要道路の下に湧水機能を持たせることは普通になっています。その最初を埼玉県で行ったのです。当時の埼玉県の革新県政は原則は地域住民との話し合い優先でしたが、新幹線の上野乗り入れでは地域住民の反対運動を押し切って大宮始発を改め上野まで乗り入れをさせました。そして地域住民の説得材料として埼京線の新設を渋っていた政府と国鉄に交換条件として認めさせたのです。まさに美濃部都知事が言わなかった「その代わり川を歩いて渡る自由を享受しなければならない」を貫いたのです。幸いな事にはどこの役所のトップも東大法学部の知事の後輩でした。また浦和高校の後輩も多く、そして自民党の国会議員の中に知人や友人も多く革新知事と言っても話し合いがスムースに行きました。



自館目録の『彩-BISC』から美濃部亮吉でヒットした17件の資料のうち『都知事12年』p88-92に〈橋の哲学〉の項目あり。アルジェリア戦線の指導者フランツ・ファノンの言葉より引用とあり。
フランツ・ファノン

一人でも反対があれば橋を架けない。泳いで渡るか船で渡ればいい。

しかし、アルジェリア戦線を指導するだけあって違うな。日本なら、
「一人でも反対があれば橋を架けない。どうやって渡るって?それを考えるがお前の仕事」