"イスラム国もアサドもエボラも海賊も…「日本が関わらないうちに、誰かがやってほしいなあ」と思う気持ちは確かに自分にもある。それが平和主義というならそうだろう。"

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150131/p2

日本が人的な犠牲を払ったり、リスクを負ったりするのは、嬉しいか/嫌かと二分するなら、いやだなー、と思うんですな。
また、イスラム国を攻撃するなら、結果的にアサドをサポートするのではないか、とかアサドとダーイシュ、どっちが悪なんだ、さらにはそもそもアメリカが悪ではないか、という議論がある。
それはそれで、確かにそうであろう。

ただ、そういう態度をとっていると、諸外国の視線も厳しくなるだろうし、たとえば人道支援でも南スーダンでの警備でもソマリアの海賊対策も、「やらないことで生まれる悪」というのも出てくる。
ただ、それを気にせずにフリーライド、あるいは「見ざる、聴かざる、言わざる」を徹底させれば、少なくとも手は汚れない。それは一種の「平和国家」なんだろう、と思う。
要は、山田厚史氏のいうことはそのような話なのだろう。

災害・医療・難民支援でも「ジェシカ論法」(命じる貴方は行かないの?)の問題は変わらないよね?
正確には「ジェシカ・百田論法」と命名している(笑)
もういちいち説明するのも面倒なので、下のリンクに行け
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131013/p4
要は「危険なことをさせるというなら、それを命じる・支持するやつらがまずやってみろ」つう、私は警句としての意味は認めるものの支持しない(過去記事参照)が、一部では支持されている話です。