例のソレについて

西欧諸国は、より現代に近い価値基準で過去の行為を再検討している。
(「植民地支配」という本丸を守る為の撤退戦術かもしれないけど)
そういう潮流そのものに逆らい、「現在の価値で過去を裁くな」って叫ぶのは結構大変な予感はある。


インドネシアのオランダ大使は、インドネシア独立戦争時の1945年から47年までの間に行われた即決処刑に対し正式に謝罪した。この謝罪は、1946年から47年の間に南スラウェシで裁判なしでオランダ軍によって処刑された男性たちの未亡人たちに対するもの。未亡人たちは高齢のためジャカルタの文化センターまで足を延ばすことができなかったが、大使がスラウェシまで足を運ぶという。未亡人たちは金銭的な補償も受け取る。

インドネシアはオランダの植民地であったが、第二次世界大戦中は日本軍が占領する。終戦インドネシアが独立を宣言しオランダ軍と戦い1949年に独立をとげる。
この独立戦争中に数千人のインドネシア人がオランダ軍により処刑されている。

2011年にはオランダはジャワ島にあるラワジェデ村での大量虐殺に対して公式に謝罪をしている。

オランダ政府、インドネシアに戦時中の即決処刑を謝罪 - ポートフォリオ・オランダニュース
http://www.portfolio.nl/article/show/5426

http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/32086922.html

 第二次大戦中、強制収容された日系アメリカ人に対する米国政府の補償が一九八八年の市民自由法と、一九八九年の補償金歳出法の成立によって最終的に認められた。過去の過ちをなおす米国政府の寛大さとか、米国の自由と民主主義の精神に感嘆することは容易いが、日系アメリカ人の並々ならぬ苦闘こそが補償を可能にしたのである。米国西海岸州(カリフォルニア、オレゴンワシントン州)に住んでいた十二万人もの日系アメリカ人は、日本人移民も、米国市民である二世も、一九四一年の日本海軍のハワイ真珠湾奇襲以降の米国における反日的世論のなかで、大陸中央部の十三箇所の収容所へ入れられたのである。この小論では強制収容に至る過程と、強制収容をめぐる補償賠償運動が勝利を収める過程について叙述する。

http://tomoji.home.igc.org/jpn/nikkei.html