ttp://gudachan.hatenablog.com/entry/2014/04/15/011103
ゼロ年代の前半頃は地方に住んでいた。
CD、DVD、そしてコンシュマーゲームの新品&中古がメインのチェーン店では、片隅の完全隔離区画にPCゲーの新品&中古が置いてあって、僅かながら新作ゲーが入荷していた。ぴす@ぴす、もそこで買ったなあ。
"三十年後のまちなみは今ー群馬県太田市南一番街の変貌 "
http://homepage2.nifty.com/datey/1otaminami.htm
ほぼ30年ぶりだろうか、東武伊勢崎線の太田駅南口におり立った。
夜十時を過ぎていたが、駅前は暗いが商店街の中ほどから向こうが、やけに明るい。
ホテルに行く前に、ちょっと回り道して見たら、なんと夜のお遊びの街なのである。アジアエスニック系のネオン看板が立ち並び、呼び込みのおにいさんが立ち並んでいる。
1970年に、この長い駅前商店街を大勢の地主たちが共同してつくりあげたときは、ごく当たり前の健全な商店街だった。街がにぎやかなことはよいことだが、いつからこうなったのだろうか。
このコリアンキャバレーはたしかレストランだった、このナントカエステは蒲団屋だった、このスナックはミニスーパーだったなど思いながら眺め歩くと、入店を期待する呼び込みの声が次々とかかるのだった。
(010503)という日付表示なので、2001年なのかしら。
"南一番街" wikipedia
その他共同開発の商店街とは別に駅前広場に面して東武ストア太田店が開業するなど南口は一気に新たな商業の中心地になることになった。(同時期の競合店には本町商店街の藤五、十字屋や国道407号沿いの東光ストア(後の東急ストア)などがあった。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%B8%80%E7%95%AA%E8%A1%97
しかし、1977年(昭和52年)に太田駅南口広場に面した場所に駐車場も完備したユニーを核店舗としたベルタウンが出来ると、従来の強みであった駅への近さや駐車台数などでも適わなかった為に集客力は衰え、規模で大幅に劣るダイキン百貨店や東武ストアなど競争に敗れて閉店し、その他の商店の閉店や映画館、ボウリング場もなくなるなどシャッター商店街化が急速に進むことになった。
この商店街の衰退の引き金を引いたベルタウンや南部郊外の高林に出来た「ショッピングセンターラブ」も地元の商店も参画しており、そうした店舗が自ら主力をそうした施設に移転していったこともこの商店街の衰退に繋がったとされている。
こうして商店街が衰退した後にバブル崩壊し、経営が苦しくなると当地の店舗跡を賃貸に回すケースが増えたが、広めで家賃が高めだったこともあり、富士重工業や三洋電機の工場がある工業都市である為に独身男性が多めの地域性を背景に資金力に富んだ性風俗サービスの店舗が多数入り近年は北関東随一の歓楽街と呼ばれるようになった[2]。
こうした方針の一環として、ハード面では2002年(平成14年)にアーケードを撤去し、2004年(平成16年)には4車線だった駅前大通を2車線化して歩道を拡幅すると同時に段差をなくし、バリアフリー化を進めるなど再開発を進め[5]、ソフト面では2005年(平成17年)3月28日には「おおた南一番街クリーンアップ条例」を制定してクリーンアップ作戦を進めるなど行政主導で風俗街からの脱出を模索し始めている[6]。
三洋電機も、2009年に松下の子会社化したのだが。