"努力"と"メタ努力"

この話題は四回目か。

(与えられた時間とリソースの中で)他の解決法を模索したり、課題の意味自体を疑ったりすることなく、与えられた課題に与えられた手段で邁進するのを"努力"(ベタな努力)とすると、(与えられた時間とリソースの一部を用いて)他の解決法を模索したり、課題の意味自体を問いなおし、課題の再構築を図る作業を"メタ努力"とでも呼ぼうか。

 動的で分衆化した社会では、"ベタ努力"より"メタ努力"の方が利便性が高い印象だが、だからといって、「遊興や休養に充てる時間やリソースを、目標達成に振り分ける」という『努力』を実施しない理由にはならない気はする。