ゲーセンで出会った不思議な子の話:哲学ニュースnwk
ゲーセンとかけそばと泣ける話とゲラゲラ笑う人達
実話として流通する嘘に大喜びする愚民
承認欲求は誰だって欲しいから、作り話作るのは良いよ。発表するのも良いよ。
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2176.html
しかし、創作を事実だというのは、ダサいでしょうに。
それを喜ぶのはもっとダサいでしょうに。
「ゲーセンで不思議な子に出会う話」は物語というよりむしろ>>1のセルフカウンセリング
その他。
いろいろ眺めていくと、
「"感動体験"は、割りとチープな物語でも発生する。ので、"感動"を過度に価値化*1してはいかん」
あたりに落ち着くのかな。
これを逆算すると、
「他人が感動した物語をチープと笑っていた人が自分の感動を笑われた時、チープさを取り繕うために「物語」をリアルだと取り繕う」
となるのかもしれん。
もちっというと、「感動」は「物語」と「自己」との相互作用なんで、「感動」を喧伝することは脆弱性の公表に他ならない。だからといって、常に冷笑的な態度を取ると↑に陥る可能性がありそうではある。嘘言でもいいいから、「クラッシックの名曲に感動した」「見名作映画に感動した」「ルネサンス〜印象派絵画に感動した」と言っておくと、脆弱性のカバーにいいのかなとおもた。
*1:一般化したり、他人に感動を押し付けたり、感動から逆算して登場人物やその行為を称揚したり、作戦の失敗を感動なエピソードで隠蔽したり