ところが、やがて、「あの学校」を生きるために「この現実」をクリアランスするという設定が、要らなくなっていきます。「ときめきメモリアル」的な舞台を設定するために第三次大戦などの「ハルマゲドン」が要求されることが、なくなっていくのです。その理由は、「社会の重力」が弱まって、「この現実」が軽くなったからだ、と私は推定します。

http://www.miyadai.com/

昔は美少女を配置するためにFTや、異能が必然だったけど、最近は異能抜きで美少女が配置される。これは、読者のリテラシーの高まりと解釈していたけど、「社会の重力」が弱まったためなのね。
そうそう。昔は、主人公が凡人で、美少女をゲットするためには、困難なゲームをクリアしなくてはならなかったそうだけど、最近は、お飾り程度の選択肢。これが、「ヒロイン選択」でなくて、たいがい、シナリオ選択というか、状況選択の形を取るのがおもしろい。それもまあ、社会の重力かな。

こうした変化を象徴するのが、1983年に中森明夫によって「オタク」という言葉が発明された事実です。

http://www.miyadai.com/

 これは、採取という説を取る。


手持ちの年表
http://grev.g.hatena.ne.jp/REV/?word=*[%E5%B9%B4%E8%A1%A8]