いろいろ続く

 選択肢を隠蔽するのは卑怯だし、ありもしない選択肢を構築できないと責めるのは酷というものだ。さらに、選択の責任を自ら負わず誰かに預託して、それでいて結果責任を追及するのは無責任だ。