人文系の記述の間違いに実際に何か弊害があるかといったら、これはあまりないのではないか、という疑問が前々から俺にはあって。
それこそ、源頼朝の征夷大将軍就任が1192年でも1221年でも明日からの暮らしに何の影響もないじゃない、多くの人にとって。歴史学者、歴史系書籍製作者なんかにとっては問題だろうけれど、まあ、そんななあ一部の人たちだ。
多くの人に、それでもやっぱり1192年なんだ、そのことには価値があるんだ、と認めさせるにはどうすればいいんだろう、と思う。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20080316#1205793546
うん。それ無理。
現代に生きる人は、莫大なインフラの上で生活しているが、「動いて当然でしょ?何で俺がそんなことまで心配しなくちゃいけないの?」という反応が一般的だろう。征夷大将軍の就任時点も、そういうインフラの一部ではある。少なからぬ人達が、そういうインフラ維持の職につき、動いて当然ミスがなくて当然、という状況で働くことになるが、
ベーシックインカムまだかな?