Bad communication

コミュニケーションという空想の概念は、自ら生み出すものではなく、偶然の産物として立ち上がってくるものだと私は思う。だからこそ私はブログにコミュニケーションツールとしての役割を求めない。しかしそれこそが、この長い長い記事を最後まで読んで下さった貴方に対する、誠実な問いかけになると考えている。

http://new.ciao.jp/blog/archives/000439.html

 私は、細かなメッセージの集積をコミュニケーションと呼ぶ立場を取り、「真のコミュニケーション」の片鱗を、稚拙な言葉で茄子、という立場をあんまり取らない。もちろん、テキストも、声色も、洋服も身振りも手振りもメッセージ。目に映るすべてのものはメッセージ。自分のメッセージが、相手によって半波長位ずれて返ってくると、上手い具合に共振するように脳内回路は設定されているっぽい。

 という意味で、コミュニケーションは多分に構造的で、私が問題にしたいのはメッセージ、もっというと断片的なアクションのほう。意図が崇高なら、手段は正当化されるわけではなく、一定の制約を設けるべき、という、そんだけ。愛の「DoS攻撃」を私は受けたくないし、そう思う人は多いとおもう。
 ありがちなプロレスごっこ、冗談による放火、山形名物妖怪マット。