哲学講義-ナルキッソスの自己愛

http://matsuura05.exblog.jp/1366423
読まずにコメント。
モナド的自己愛、ぶっちゃけていうと、洞窟の中で自分の顔を眺めてニヤニヤする自己愛、というのはあまりなさそう。たいがいは、「自分の顔」じゃなくて、「皆に賞賛される自分の顔」みたいな、他者を通じた自己愛を想定するんじゃないかな。
というわけで、自己愛の実現には多くの場合、他者(実在の場合もあるし、架空の場合も有る)が必要で、社会性*1を持った自己愛の実現を、健全と呼ぶんじゃないかな。
 そうしないと、健全な利他的行為を、「利他的行為により快感を得る、利己的行為」とかいう、メタループに嵌りやすいと思う。もっとも、みんなこうやってバターになるのがすきだから、それはそれでいいのか。

*1:未定義